雲南省旅行記
3日目 瀘沽湖観光
今日は永寧を訪れた後、里格半島に行ってモソ人の民家を訪問し午後は落水村のプミ族の民家と摩梭(モソ)民俗博物館を訪れる。
ホテルの食堂で朝食をとる。メニューはお粥、饅頭、ウドンだった。ウドンの汁にはトウガラシがたっぷり入り口の中が熱くなった。
朝食
8時半にホテルを出発、湖の左手に進む。初めのうちは未舗装のひどい道路であったがしばらく走ると石畳の道になりほっとする。道は山の中に入り湖を見下ろしながら走る。やがて里格半島が見えてきたが先に進み獅子山の背後に周る。
里格半島 獅子山の背面
石畳の道が泥道になり、道の周りに大きな岩がたくさん転がっている。雨季になると土砂崩れが起きて道が埋まってしまうという。
落石だらけの道
悪路を通り過ぎると村に出た。道端には小さな仏塔があり表面には経文が刻まれている。
村人 仏塔
さらに進むと橋があった。開基橋といい500年前にジンギスカンが渡ったという。橋の入り口に柱が立っていて、お守りなのだあろうか鐘や鈴がたくさん懸けられている。
開基橋 橋のお守り?
このあたりには丸太造りの古い家が見える。モソ人の伝統的な家だ。落水村にも丸太造りの家はたくさんあるがほとんどが観光用の新しい家で古い家はなかなか見られない。
モソ人の家
突然石畳の道がアスファルトの舗装道路になった。永寧の町だ。
永寧の通り
横道に入るとトウモロコシ畑がありその先に稲穂の垂れた水田が広がっていた。永寧は海抜が2700m以上あるが赤米が作られていて高原赤米として知られている。
トウモロコシ畑 水田
来た道を引き返し先ほど通リ過ぎた里格半島にある里格村を訪れる。この村には31家族200人が住んでいて村の家は湖畔に建っているが今年は水面が上がり道が水没して家の近くまで水が押し寄せている。
里格村(拡大) 湖畔の家
家の前では村の男が猪槽船に乗って漁をしていた。観光地化された落水村では見られない風景だ。
漁をする村の男
モソ人の家を訪問する。この家の主人はボアチマさんという63歳のおばあさんで子供が4人、孫が10人いるが、おばあさんは伝統を守って祖母居と呼ばれる古い家に1人で住んでいる。
ボアチマさん
祖母居に入ると部屋の左側に囲炉裏があった。中の火は大事なので1年中燃やし続けていて部屋の中は煤けて真っ黒になっている。囲炉裏の傍の壁にはサンバラと呼ばれる火の神が祀られており、その前には果物や食べ物を供える麗品台という台がある。モソ人はチベット仏教を信仰しているがサンバラは最も重要な神である。
祖母居内部 サンバラと麗品台
囲炉裏の前方左右に2本の柱が立っている。女の柱と男の柱で子供が13歳になるとこの柱の前で成人式を行う。成人式のあと女の子は花楼と呼ばれる建物に部屋を与えられ、民族衣装を着られるようになる。そして17歳になると通い婚が許される。通い婚の初期は秘密期間で男はこっそりと女の部屋を訪れるが2年経つと家長のおばあさんに結婚の許しを求め、許されると火の神の前で結婚式を行う。結婚式の日取りはおばあさんが良い日を計算して決めるという。
部屋の正面の壁の下は一段高くなっているが、ここは上火床と呼ばれ客のベッドに使われる。屋根裏には2頭分の豚肉が干されていた。昨晩食べた豚肉もこのようにして保管されていたものだ。この豚肉の大きさがステータスシンボルになっているという。
豚肉
日本ではボアチマさんくらいの年齢になると引退するのが普通であるがモソ人の世界ではボアチマさんくらいの年になってからが最も活躍する時期でボアチマさんも家族を使ってホテルを経営している。
ボアチマさんの経営するホテル
この後落水村に戻る。青空に雲がたくさん出てきて単調な湖面の景色に変化が出てきた。
湖畔の風味小吃という小さな食堂で四川料理を食べる。最初に出された料理をほおばって噛んだらとたんに口いっぱいに辛さが広がり、あわてて飲み込んだら胃が驚いたのかしゃっくりが止まらなくなった。よく見ると山椒の粒がたくさん入っていてこれをもろに噛んでしまったのだ。聶さんは山椒を1粒ずつ除いて食べていたが机の上に10粒近くもたまった。瀘沽湖の魚の唐揚げが出たが軽い味で大変おいしかった。
瀘沽湖の魚の唐揚げ
食後上町を訪れる。落水村は湖畔の下町と湖畔から200mくらい離れた通りに沿った上町に分かれていて下町は観光地化されてしまっているが上町にはまだ伝統的な家が残っている。上町には70世帯が住んでいてそのうち2割がプミ(普米)族である。
プミ族の民家を訪問する。プミ族の家は丸太造りでモソ族と同じく祖母居がある。牛1頭、馬2等、豚15頭、羊1頭飼っていて人が亡くなると牛と馬を殺して一緒に天国に連れて行く。食べ物はトウモロコシとジャガイモ。
ブミ族の家 中庭
祖母居の造りは先ほど訪れたとモソ人の家と同じである。モソ人と同じ場所に住んでいて影響を受けて同じになってしまったのだ。モソとも結婚し言葉も似ているがイントネーションが違うという。またプミ族には漢族の文原文字によく似た韓規文字という独自の文字を持っている。通い婚はせず男は家に残り嫁をもらう。
プミ族の祖母居 家長のナジュジョマさんと妹
続いて摩梭民俗博物館を訪れる。
摩梭民俗博物館
モソの民家が展示されていた。祖母居は先程訪れたモソ人とブミ族の家と同じ造りだが部屋の壁に小さなドアーがついていた。生死門といいこの奥には小さな部屋がある。子供を生むときはこの部屋に引きこもって生み、人が亡くなったときは体に薬草やバターを塗ってこの部屋に1週間置いてから火葬にするという。
生死門
女が住む花楼の展示もあった。窓にはシン張り棒がついていて男が訪れるときは外しておく。壁には動物の毛皮など男からの贈り物が懸けられている。
花楼の部屋 男からの贈り物
チベット仏教の仏壇とともに土着の宗教ダバ教の祭具も飾られていた。頭に5仏の冠をつけることなどチベット仏教や東巴教と良く似ている。
ダバ教の祭具 5仏の冠
このあと梭摩大酒店に戻り1時間ほど休憩したあと猪槽船の写真を撮ろうと思って舟着場に行く。しkし風が強いため船は出ていなかった。ホテルの食堂で夕食をとった後、再びモソ人の踊りを見に行く。今日は昨日とは違う角度から撮ろうと2階席に座る。2階席に座るには入場料10元のほかにお茶代10元を払わなければならないが座ってゆっくり見られるので安いものだ。