マリ旅行記

7日目 トンプクトゥへ移動後、市内観光

 4時半アザーンの声が聞こえてきたがすぐ終わってしまった。中東の国々と比べると短く、節も粗雑な感じだ。今日はかって黄金の都と言われ街全体が世界遺産に登録されているトンブクトゥへ移動する。

 飛行機が小さくスーツケースを載せられないのでホテルに預けるため2日分の荷物をリュックサックに詰めたあと早めに朝食をとる。食後ホテルの前に出るとバニ川を帆かけ舟がゆっくり通り過ぎていく。岸辺では洗濯屋さんが早くも洗濯をしている。

 
帆掛け舟           洗濯屋さん

 7時半ホテルを出発、20分でモプティ空港に到着した。待合室で搭乗の手続きを待っているとお土産屋さんが大勢入ってきて布とか首飾りなどを目の前に広げる。空港の職員が来るとさっと外に出るが、事務室に戻るとすぐ入ってくる。泥染めの1mX2mくらいの木綿の布が20,000セーファーフラン(4000円)というので10,000セーファーフランに値切ったら、初めは売れないといっていたがそれでは要らないとそっぽを向いていたら10000フランになった。買い物をするときは欲しくても要らないふりをするのが一番だ。

 
モプティ空港        お土産屋さん

 今日乗るアビオンエキスプレスのL9 015便は8時に出発する予定なのに8時になっても姿が見えない。2時間ほど待ってようやく2機のプロペラ機が飛んできた。17人乗りなので2組に分かれて乗りこみ10時30分に離陸する。窓から眺めると白っぽい半砂漠の土の上に点在する村々や蛇行するニジェール川が次々と現れる。


プロペラ機
 
村落          ニジェール川

 プロペラ機は1時間弱のフライトでトンブクトゥ空港に着陸した。ここで古い4WD車3台に分乗して市内に向かい15分ほどでホテル・アザライに到着した。客室が土造りの民家風の外観の離れになっていてしゃれているが、自家発電なので客室の電灯は暗く22時になると停電になってしまう。

 
トンブクトゥ空港          ホテル・アザライ客棟

 30分ほど休憩してから4WD車に乗ってジンガリベリ・モスクを訪れる。ジンガリベリとはソンガイ語で大きなモスクという意味である。13世紀マンサムーサ王がメッカに巡礼に行ったときラクダ100頭に35kgずつの金を積んでいき、帰るとき金をばら撒いてトンブクトゥが金の都であることを宣伝した。そのときスペイン人のエッ・サヘリという詩人兼建築家を連れて帰りジンガリベリ・モスクを設計させ、完成すると54kgの金を与えたという。このモスクは焼成レンガで造られているので800年前の姿を今も保っている。

 
ジンガリベリ・モスク        扉の飾り

 靴を脱いでモスクの中に入る。メッカの方向を示すメヒラーブと説教台が壁の凹みにありその前だけは絨毯が敷かれているが、他の箇所はござ敷きか土のままである。内部には75本の柱があるとが土の柱なのでたいへん太く、柱の間の空間が部屋なのか廊下なのかわからないような状態である。

 
メヒラーブと説教台        廊下

 女性の礼拝室はモスクの外に作られていた。ここも地面の上にござを敷いただけである。


女性の礼拝所

 モスクの屋上にはたくさんの木で装飾されたミナレットが立っている。


屋上

 黄金の都の伝説を聞いて19世紀にヨーロッパから探検家がやってきた。スコットランド人のアレキサンダー・ゴートンとフランス人のルネ・サイリエが住んでいた家がモスクの近くに残っている。アレキサンダー・ゴートンは英語しか話せず1826年にラクダに乗って帰国するとき迷彩服を着ていたのでスパイと間違われて殺されてしまった。この話を聞いたルネ・サイリエは独学でトゥアレグ語を学ん、1828年にこの地に来たときはターバンを巻いて現地の人と同じ格好をしていたので無事に帰ることができた。

 
アレキサンダー・ゴートンの住居           ルネ・サイリエの住居

 近くにあるサンコーレ・モスクは1465年にコーランの学校として建てられた。当時トンブクトゥには10万人の人口があり180のコーラン学校があったという。このサンコーレ・モスクにはアフリカ全土から集まってきた25000人の学生がいたというが今は小さなモスクになってしまっていて当時の面影はまったくない。


サンコーレ・モスク

 次いで市場を訪れたがジェンネの市場を見た後だけに、あまり面白くない。

 
市場の風景

 肉を売っていたがものすごい数の蝿がたかっている。ホテルで食べる肉もこうなのかと考えるとぞっとする。魚も売っていたが腐敗しないよう干物にしたり燻製にしてあった。

 
蝿だらけの肉              干物の魚

 市場の近くのビルの中に職人たちが集まっている一角があり、木彫り、銀細工、鍛冶屋、靴屋などの工房が並んでいる。どの工房も手作業で動力はまったく用いていない。

  
木彫り職人         銀細工職人

 ホテルに戻り昼食をとる。パンに砂が入っていて噛むとじゃりじゃりする。ミネラルウォーターを注文したら1500セーファーフラン(300円)と高かった。サハラ砂漠の中の町だから仕方がないのだろう。

 食後ホテルの近くからラクダに乗ってトゥアレグ族の民家を訪問する。ラクダは後ろ足から立ち上がるので鞍につけた棒をしっかり持っていないと落ちそうになる。歩くときは両脚を交差させてラクダの首の上に置かなければならないが、脚が首の上からずれないようにしておくのが大変である。それに1歩ごとに体が前後に揺れるので乗り心地が悪い。1分も乗ったら降りたくなってしまったが20分かかると聞いていたのでただただ辛抱である。前を行くラクダを見ていると足の裏が板のように平らである。こういう足をしているから砂の上を難なく歩けるのだろう。


ラクダ・タクシー

 25分ほどたってようやく到着するとトゥアレグ族の人たちが歓迎の歌を踊りをしてくれた。女の人が手を叩きながら歌を歌い、それに合わせて男が膝をひょこひょこさせながら刀をゆっくり振り回す。トゥアレグ族は勇敢で誇り高い民族でかっては略奪をしたり、隊商の護衛として働いていたりしてサハラの戦士として恐れられていたという。

 
歓迎の歌と踊り

 トゥアレグ族の人たちは髪の毛が縮れてなく、肌の色が茶褐色である。ヨーロッパ系のベルベル族の流れで、イスラムの勢力拡大とともにイエメンからサハラ砂漠にやってきた。マリには6万人から7万人いると推定されている。

 
トゥアレグ族の女性

 トゥアレグ族は遊牧生活をしているので住居は組み立て式で、砂嵐を防ぐためかがみこまないと入れないほど入り口が低い。台所は火事を防ぐため戸外にあり、風除けのため柴の壁が作られている。夫婦と子供3人くらいで住み、子供は10歳になると別のテントで暮す。宗教は全員イスラムだという。

 
住居               台所

 もうラクダに乗るのは嫌なので帰りは歩いたが、ラクダは遅そうに見えて意外と速く一生懸命歩かないとついていけない。2kmくらいの距離だが乾燥した砂の上なので1歩ごとに足が沈み込みけっこう疲れる。しかし1人だけサハラ砂漠を歩いたのだから良い記念になった。


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