ベトナム北部辺境旅行記
5日目 クエンビン市場、パックポー洞窟、英雄キンドン少年の墓訪問
朝ホテルの前の通りに出ると天秤棒に野菜を担いでいる人の姿が見られた。
市場へ向かう人
後についていくて5分ほど歩くと市場に出た。バンゼン市場という生鮮食品の市場だ。肉売り場を歩いているととロバの足が見えたので近づくとロバの頭もあり大きな丸い目を開いていた。さんざんこき使われた上、殺されて食べられてしまうのだから哀れなものだ。
女の人が大きな豆腐を包丁で小分けしていた。雲南省の少数民族は日本人のルーツだという説があるが、雲南省から移動してきた少数民族が豆腐の作り方を伝えたのだろう。
バンゼン市場 豆腐屋
7時半にホテルを出発、ダサ村のクエンビン市場に向かう。道の両側には美しい棚田の景色が続く。田植えの時期か稲刈りの時期にもう一度来て見たいものだ。
棚田の風景
1時間半ほどしてクエンビン市場に近づくと真新しい民族衣装を着た赤ザオ族の娘さんが6人も歩いていた。6人のうち2人は頭を剃っていたが残りの4人は髪の毛を伸ばしていた。髪を剃るザオ族の習慣は段々なくなっていくのだろう。
村へ向かう赤ザオ族の娘さん(拡大)
車を停めて全員で並んだ写真を撮らせてもらおうと思ったが、カメラを向けると嬉しがる人もいる一方、嫌がる人もいて全員の写真は撮れなかった。市場に行けば民族衣装はたくさん見られると思い先に進む。
5分ほど走ると市場に到着した。赤ザオ族の女性が大勢いたが頭を剃ってはいるものの普通の服を着た人ばかりで民族衣装姿はちっとも見つからない。
市場 赤ザオ族の娘さん
片隅でバナナの葉で蓋をした籠でなにかを売っていた。蓋を開けるのを待っていると中に小豆色に染めた餅米のご飯が入っていた。ヒューさんが買うと1人では食べきれないくらいの量のご飯が6000ドン(45円)だった。ご飯の色は葉の汁で染めているので体に害はないという。
餅米のご飯を売る人
ザオテン族の人たちの姿もたくさん見られた。ビンロウを噛んだのか口の中が赤い。
ザオテン族の女性
市場の中をぐるぐる探し回ってやっと民族衣装姿の赤ザオ族の娘さんを見つけたが帽子はかぶっていなかった。帽子を持っている人は少ないのだ。
赤ザオ族の娘さん
15分ほどすると先ほどの娘さんたちがやってきた。待ってましたとばかり後についていったが、市場の中は混雑していて思うように写真が撮れない。そのうち市場の外に出て行ったのであまりしつこく追いまわすのは悪いと思って諦めた。
赤ザオ族の娘さん
しばらく市場の中を歩き回った後、娘さんたちが歩いていった方に行くと人だかりがした店があり、中で娘さんたちが化粧直しをしてもらっていた。この店は写真屋さんで娘さんたちは成人した記念の写真を撮りに来ていたのだ。写真屋さんの脇から撮らせてもらうく。帽子をかぶった赤ザオ族の民族衣装を見るだけでも難しいのに写真まで撮れるとは実にラッキーだ。
赤ザオ族の民族衣装(拡大)
来た道を引き返してホテルに戻る。来たときは急いでいたので素通りしてしまったが途中の景色はなかなか良い。
昼食をとっあと60km先のパックポーへ向かう。ここはホーチミンが30年間の留学生活を終えてベトナムに戻ったとき1ヶ月暮らした場所である。稲刈りの終わった田の続く中を1時間半ほど走るとパックポーに到着した。車を下りると目の前に青く澄んだ川が流れていて岩にレーニン川と書かれており、その上の山にはカ−ル・マルクス山と書かれている。ホーチミンがここに住んでいたとき名付けていたという。
レーニン川
清流に沿った小道を登っていくと川岸に植えが平らな岩があった。ホーチミンはこの岩に座って魚釣りを楽しんでいたという。
ホーチミンが釣をしたとき座った石
さらに進むと洞窟の前に出た。ホーチミンはこの洞窟に1ヶ月間住んでいたという。ここはベトナム人でもあまり来ないところでガイドのヒューさんとドライバーのホンさんに記念写真を頼まれた。
洞窟 入り口の碑
中にはホーチミンが寝た木の板のベッドやホーチミンが書いた年号が残っている。
ホーチミンが寝たベッド ホーチミンが書いた年号
洞窟を出て100mほど歩くとホーチミンが机と椅子として使ったという平らな石と四角い石があた。ここでもヒューさんと現地ガイドのホンさんから写真を頼まれた。ベトナム人にとってホーチミンは神様のような人なのだ。この石の先に山に登る小道がある。革命家たちは敵が近づくとこの道を通って中国領に逃げこんでいた。
ホーチミンが座った石の机
駐車場の近くでバケツに柿を入れて売っていた。1kgで4000ドン(30円)と非常に安いのでヒューさんとさんは4kgずつ、ホンさんは8kgも買いこんでしまった。つられて私も買いたくなったがとても食べきれないので諦めた。
柿の露店
ホテルに戻る途中ヌン族の村に立ち寄った。この村の家は皆伝統的な土壁の家だったが民族衣装を持っている人はいなかった。
ヌン族の家
車を走らせていると道端で女の人が草を干していた。タイ族だというので民族衣装の写真を撮らせてもらうことにした。タイ族は高床式の家に住むが、この付近ではヌン族と一緒に住んでいるのでお互いに影響しあって習慣が交じり合い、この女性は平屋の家に住んでいた。
タイ族の女性の平屋の家
中に入ると壁の土が落ちて隙間だらけで、そこに炊事用具などが懸けてあった。
炊事場 壁
天井の下には種もみにするのだろうか餅米が吊り下げられていた。家の外では鶏とひよこと子豚が仲良く餌を食べていた。
もち米 仲良く餌を食べる鶏と子豚
この家の近くにヌンイン族の家があったのでその家の型にも民族衣装を着てもらい写真を撮らせてもらった。
ヌンイン族の家
ヌン族はタイ族系なので民族衣装はタイ族とよく似ているが、タイ族の民族衣装が裾が長いのに対しヌンイン族の民族衣装は裾が短い。
ヌンイン族(左)とタイ族の民族衣装(拡大)
このあと英雄キンドン少年の墓を訪れる。キンドン少年は13歳のときからホーチミンたち革命家の連絡係として活躍し、14歳のときフランス軍が革命家たちを急襲したときは我が身を犠牲にしてフランス軍と戦い革命家たちが逃げる時間を作った。少年ながら革命に偉大な功績があったので英雄としてベトナム人に尊敬されているのである。
英雄キンドン少年の墓
ホテルに着く前に日が沈んできた。石灰岩の山の間に沈む瞬間を撮りたかったが、残念ながら下の方の厚い雲に隠れてしまった。