チベット旅行記
8日目 那曲から当雄へ
今日は出発が9時半と遅いので7時から街の中を散歩する。このあたりは北京よりかなり西の地域なので夜明けが遅く、夏の7時といっても薄暗く箒を持ったおばさんたちが通りを掃除しているだけである。ごみ捨て場では山羊が残飯をあさっていた。山羊は草しか食べないと思っていたがなんでも食べてしまう。
30分ほど西の方へ歩いていくと前方にお寺が見えてきた。近づくとマニに車を持ったおばさんたちがお寺の周りを回っている。そばには小学校があり、小学生が三々五々登校してくる。皆運動着を着ている。子供の頃の影響は大きいからこの子達が大人になる頃はチベットの民族衣装は見られなくなってしまうかもしれない。
お寺 寺の周りを回る人
登校の小学生
今日はダンシュン(当雄)まで170kmの移動だが、悪路を走るので4台の4輪駆動車に分乗してホテルを出発する。しばらくするとネンチン・タングラ山脈の山々が前方に見え始め、やがて右手一杯に広がってくる。ネンチンとは光明の神、タングラは中央という意味のチベット語である。この辺りにはチベット人の村が多く、いずれも漢字の当て字がつけられている。放牧されているヤクの姿が多くなり、群れの近くにはチベット人のテントが見られる。
道端で2人の男が五体投地をしていた。100mくらい後方には男が荷物を積んだリアカーを引いている。何ヶ月もかかってラサまで行くのだろうか。車が猛スピードで走っている道なので五体投地はかなり危険だ。
ネンチン・タングラ山脈の山々(拡大)
ヤクの群れ(拡大) チベット人のテント(拡大)
13時5分当雄(海抜4300m)に到着、昼食をとる。ドライバーの馬さんが回族だったので昨日までは清真料理だったが、今日は一般の料理で久しぶりに豚肉の入った野菜炒めを食べた。
14時30分ナムツォ湖の観光に向かう。青蔵公路から右手の未舗装の道に入り、川や水溜りのある凸凹道を進む。途中に工事カ所がありひどく揺れたが、ここを過ぎると比較的平坦な道になってほっとする。15時45分ランチェン・ラに到着、海抜5,132mの峠である。ここからナムツォ湖の水面が見えるが青空に負けないきれいな青い色をしている。たくさんのタルチョやカタが結び付けられた経幡(ローンダ)があったので我々も旅の無事を願ってカタを結びつける。
ランチェン・ラ(拡大) ランチェン・ラからナムツォ湖の眺め(拡大)
16時45分ナムツォ湖畔に到着、写真を撮ったりして休憩していると近くのテントから女性がやってきた。皆スカーフで日よけをしたうえ、日焼け止めクリームを塗っている。チベット人も色白を好むようになったのか。
湖畔の風景(拡大) チベット人の女性
さらに15分ほど走るとタシドゴンパのある湖畔に到着した。立派な2つの立石の間が入場口になっていて、ここで入場料を払って中に入る。ナムとは天、ツォとは湖の意味のチベット語だが、澄んだ湖水の青色はまさに天の湖にふさわしい色だ。標高は4718mあり、高地にあることで有名なペルーのチチカカ湖よりもさらに900mも高く、世界一高い湖である。対岸にはネンチン・タングラ山脈の山々が見えるが、残念ながら写真を撮る前に雲がかかってしまった。
湖畔の岩山には8つの洞窟があり、その1つで7,8世紀にインドからやってきたパドマサンババがタシド・ゴンパを作って修行したと言われている。ゴンパの中に入ると1人の僧が太鼓を叩きながらお経を読んでいた。日ごろ孤独な生活をしているところへ我々が日本からやってきたのが嬉しかったのか、我々の注文に応じてお経を読むところを写真に撮らせてくれたり、お堂の外で写真を撮らせてくれたりなかなかのサービスだった。
タシド・ゴンパ(拡大) 読経する僧
お堂のそばの崖には真言を刻んだ岩絵があり、そばには彩色されたマニ石が置かれてた。
岩に刻まれた真言(拡大) マニ石
そばの洞穴には女性が住んでいた。この女性は日焼けを気にしてないようで赤銅色の肌をしていた。
チベット人の女性
来た道を引き返し19時40分、当雄に到着した。昼食と同じ山城飯店で夕食をとった後、当雄天湖賓館に落ち着く。今日は移動距離は少なかったがガタガタ道で全身マッサージを受けてかなり疲れ、スーツケースもあまりの振動で車輪の付け根にひびが入ってしまった。