チベット旅行記
7日目 トト河沿から那曲へ
3時頃トイレで用を済ませて部屋に入ろうとしたら鍵がロックされてしまっている。鍵をもらっていないので外からは開けられない。廊下は真っ暗で鍵番がどこにいるのかもわからない。幸い寝るとき厚着をしていたので入り口近くのソファーに腰掛け仲間が来るのを待つ。しかし来るのは女性ばかりで男は来ない。4時半まで待っていると宿の主人が起きて来たので身振りで鍵が開かなくなったことを伝えるとわかってもらえたが、中国語でなにやら言ってトイレに行き、そのまま部屋に入ってしまった。仕方がないので再びソファーで待っていると30分ほどして先ほどの男が出てきて、中国語が伝わらないのに気づいたらしく鍵番の男に起こしてくれた。2時間も寒いところに座っていたので眠気はなくなってしまったがベッドにもぐって1時間ほど休む。
食事の前に外に出るとチベット人の男が2人歩いてきた。2人ともチュパと呼ばれる厚手のコートを着ているが、袖の長さが膝のあたりまである。手を出すのに不便だと思うが、寒さを防ぐにはこれくらい長いほうが良いのだろう。
チュパを着たチベット人
7時25分トト河賓館を出て昨日夕食を食べたムスリー餐庁で朝食をとり、8時に出発する。昨日は海抜2800mのゴルムドから4533mのトト河まで一気に1700m以上も上がったので高山病にかかる人が出ないかと心配したが、幸い全員元気だ。道の左手に小川が流れているが寒さで水面が一部凍っている。1時間ほど走ると道路が陥没していてそこにトラックが落ち込んでひっくり返っていた。運転席はぺちゃんこにつぶれている。昨夜走ってきて陥没に気づかず落ちてしまったのだろう。いたいたしい限りである。
ひっくり返ったトラック
9時10分休憩をとる。手前には湿原、遠方にはタングラ山脈がそびえ、なかなかの景色である。草原には地衣類のように見える背の低い草がたくさんあり、白い小さな花を咲かせている。
タングラ山脈の山(拡大)
小さな花
さらに走ると前方に赤紫色の山が見えてきた。赤土なのでこのように見えるのだという。9時40分雁石坪を通過、左手には怒江の上流プチュ河が流れている。
赤紫色の山(拡大) プチュ河(拡大)
10時5分、タングラ山脈が大きく見えてきた。バスを停めて写真を撮る。真っ青な空に白雲が散らばっていてなかなかの眺めだ。
タングラ山脈の山々(拡大)
近くには羊やヤクの群れがいてのどかな風景を作っている。羊の群れにはチベット人の女性がついていた。チベット人というと赤銅色の肌を思い浮かべるが、近頃は日焼けを防ぐために顔を隠していて回教徒のように見える。
ヤクの群れ(拡大)
羊飼いのチベット人女性 羊の群れ
11時35分タングラ峠に到着した。海抜が5,235mあり今回の旅での最高地点である。気圧は539hPと低地の半分近くしかない。バスの中でじっと座っている時には空気の薄さは気にならないが、バスを降りて坂を登るとすぐ息が切れてくる。峠には青蔵公路を建設した解放軍の兵士の記念碑が建っている。この道路の建設では高山病のため1kmに1人の割で兵士が亡くなっているという。
記念碑
峠からの眺望(拡大)
記念碑の前に自転車で中国一周旅行をしている青年がいた。チベット人の服装をしているが漢族で、途中チベット犬に襲われて服をびりびりに引き裂かれてしまい、チベット人に服をもらったという。青蔵公路を自転車で走破する人たちはこれまでも何度も見たが、皆グループで走っておりかなりの重装備をしている。日本の国内を走るような簡単な装備で数千kmの険しい山道を走ってしまうのだからたいしたものだ。
しばらくすると高度に慣れてきたので試しにジョッギングをしてみた。100mくらい先まで走って戻ってくるつもりだったが、行きだけで息が切れてしまい、帰りは歩いて戻るのが精一杯だった。
中国一周自転車旅行中の青年
20分ほど景色を楽しんだあと出発する。少し走ると今度はバスが谷底に落ちてひっくり返っていた。中国の道路は崖でもガードレールがないので怖い。さらに30分ほど走ると鷲の群れがいた。野生の鷲は珍しいそうだ。今回の旅は天候にも恵まれるし、なかなかラッキーだ。
鷲の群れ
13時20分アムドの町に到着、昼食をとる。この町から西に行く道は仏教、ヒンズー教、ボン教共通の聖地カイラス山に通じている。
アムドの町(拡大)
14時40分発、1時間弱走ると突然霙が降ってきてフロントガラスにバチバチ当たって砕ける。この先どうなるかと心配になったが20分もすると嘘のように青空になった。山の天気は変りやすい。
16時休憩をとる。写真を撮ろうと近くにあるチベット人の家に近づくと、家の主人が出てきて中に入れとすすめるので皆で中に入る。4人家族でヤクと羊を40頭ずつ飼っているという。
チベット人の家 燃料のヤクの糞
家の奥にはタンカで飾られた仏壇があり、その側には手の込んだ彫刻のしてある置き戸棚がある。天井や柱には吉祥の絵でうめられている。この絵はご主人自身で描いたという。
仏壇 置き戸棚
家の主人は奥さんと共に我々にバター茶やヨーグルトをすすめてくれる。観光地に行くと子供たちが寄ってきて金をせびったりするが、こういう人里は離れた場所の人は純朴で、遠くからやってきたと言うと無報酬でも歓待してくれる。
ご主人 室内
10分ほどで引き上げる。15分ほど走ると右手に川が流れている。ナクチュ(那曲)だ。ナクチュとはチベット語で黒い川という意味だが、水は黒くない。この川の名前が那曲の町の名になっている。さらに走るとまたトラックがひっくり返っていた。今日は3回も事故に出くわした。青蔵公路は交通量が少ないのに異常に事故が多い。
17時30分、那曲(海抜4507m)に到着した。那曲は交通の要衝で軍事的にも重要ということで、僻地の高地であるにもかかわらず人口が6万人ある都市である。今夜の宿の那曲飯店は1つ星のホテルだが、水洗の洋式トイレや風呂があり、テレビや電話も備わっている。
那曲飯店
荷物を置くと早速街に出かける。ホテルの前は広い舗装道路で、交差点では警官が交通整理をしている。道端にはビリヤードの台が置かれ若い人たちが熱心に玉を衝いている。この町の住民はチベット人がほとんどで、赤い法衣をまとった僧侶の姿も多く見られる。
メインストリート 交通整理の警官
ビリヤードを楽しむ若者 僧侶
メインストリートを西の方向へ500mくらい歩くと市場があった。生鮮品、衣類、金物などのほか、チベットらしくタンカや灯明台などの仏具も売られている。
野菜売り場 肉屋さん
仏具(拡大)
夕食のとき岡島さんが日本から持参したソーメンが出された。圧力鍋を使ったのでゆで具合がわからなかったそうだが、大変おいしかった。これまで世話になった現地ガイドの冉さんとドライバーの馬さんとは今日でお別れだ。2人は明日から2日間で西寧まで戻り、その後すぐ次の仕事をするというから大変だ。