四川省旅行記
4月2日 康定から丹巴へ
今日は「パキスタンのフンザに劣らない桃源郷」という丹巴に向かう。8時ホテルを出発、幸い今日も晴れていてミニヤコンガの山群が前方に輝いている。
ミニヤコンガ山群
山道をどんどん登り8時5分折多山峠(海抜4238m)に到着した。夏にはさまざまな色の高山植物が咲き乱れる峠も今は白一色である。
折多山峠
峠からはミニヤコンガ山群が見えるが、残念ながら主峰は近くの山にさえぎられて見えない。
ミニヤコンガ山群(拡大)
折多山峠から25分ほど下り瓦澤村に来るとミニヤコンガの主峰が見えた。ここから見るミニヤコンガは海螺溝で見たときと同じ山とは思えないほど切り立っている。
ミニヤコンガ主峰
瓦澤村を出てしばらく走ると山の斜面にヤクが放牧されていた。山羊が急な斜面にいて驚かされることがあるがヤクも山羊に負けずないくらい急な斜面にいることがある。牛とヤクは似ているが急坂が苦手な牛とは全然違う動物だ。
山腹のヤク
さらに走り山の麓に出ると2人の少年が衣類などを積んだ2台の荷車を引いていて、その500mほど後ろに親子4人が五体投地をしていた。これから3年かけてラサまで行くという。食べ物は途中のチベット人がくれるので心配ないというが冬の寒さを乗り切るのは大変なことであろう。
五体投地の一家(拡大)
1回五体投地をしたあと手の先の位置で立ち上がりまた五体投地をする。このことをを繰り返して進んでいくのだから数千kmを進むのは容易でない。
五体投地(左拡大)
少年たちは小学生くらいの年だがすでに20代の修行僧のような顔つきをしている。きっと前世で修行を積んだ方の生まれ変わりであろう。
巡礼の親子
このあと塔公の町に出て塔公寺を観光する。中央の集会堂には釈迦像が、左側の観音堂には千手千眼十一面観音が祀られている。いずれの建物も内部の壁画などは新しく古いものは見られなかった。
塔公寺(拡大)
寺の裏にはたくさんの仏塔が並んでいる。その先の山の中腹には数え切れないほどのタルチョ(経文を書いた旗)がたっている。
仏塔群
塔公寺を出て2分ほど走ると前方に台形の山が見えてきた。地元の人が神の山として敬う雅拉神山である。
雅拉神山
このあと雅拉神山の方向に向かって走り、山の姿がだんだん大きくなる。
雅拉神山
13時30分八美鎮に到着、10年前にチベット風のロッジの食堂で昼食をとる。オーナーの女性はチベットの民族舞踊の公演で日本に来たことがあるという。マツタケの油炒めが出たが、マツタケらしいのは歯ざわりだけで味も香りもなかった。
ロッジ マツタケ料理
ロッジの近くに仏塔があったので、出発の時間まで見物する。仏塔の脇にはマニ車の壁がありチベット人たちが歩きながら回している。なかには小学校の低学年と思われる女の子もいる。
仏塔 マニ車を回す人 女の子
八美鎮を出発した後恵遠寺を訪れる。この寺はダライラマ11世が生まれた地に建てられた寺で畑の中にぽつんと建っている。
恵遠寺山門
門の両側の塀にはたくさんの仏塔がつけられている。お坊さんが歩いてきたので添景にして写真を撮ったが、後で聞いたらリンポチェ(活仏)とのことであった。
塀の仏塔群
奥に進んでいくと白い建物があった。ここには漢字やモンゴル文字の石碑が置かれている。その左右には大きなマニ車を納めた2つのお堂がある。
石碑のある建物 石碑 マニ車堂
突き当りには集会堂と僧坊がある。集会堂には冠をつけた釈迦の像が祀られている。この寺の僧は300人いるという。
集会堂と僧坊
30分ほど見学してから出発、再び山道を登る。峠を越えたところでまた雅拉神山が見えてきた。ここまでくると山容がだいぶ変わってくる。
雅拉神山
この後、ヤク川に沿って坂道を下る。河原の石が鉄錆色をしているが、石についた苔が数百年かけて色をつけたのだという。川の対岸でお坊さんが素裸になっていた。温泉が出ていて入ろうとしているのだ。
18時45分丹巴に到着した。丹巴は大金川、小金川、ヤク川、革什扎川の4つの川が合流して大渡川になる場所にできた町で、我々が泊まった古堡大酒店は6階建てのホテルでヤク川と大金川の合流点の近くに建っている。我々は4階と5階に泊まったがエレベーターがなく海抜が1800m以上あるので階段を上りきれずに途中で息を切らしてしまっている高齢の女性もいる。
古堡大酒店 ヤク川(右)と大金川の合流点
丹巴は美人の産地として中国中に知れ渡っていて美人谷と言われている。ホテルの従業員も美人揃いでスタイルも良い。なぜ美人が多いかというと丹巴はかってモンゴルに滅ぼされた西夏王国の貴族が美女たちを連れて逃げてきてその子孫が住んでいるからである。このためここに住む人たちはチベット人とは言葉も異なっていてギャロンチベット族と呼ばれている。なお西夏王国の人たちの一部はヒマラヤ山脈を越えてネパールまで逃げシェルパ族になったという。