ポルトガル旅行記
9日目 シルヴァス観光後リスボンを経てマデイラ島へ
今日はシルヴァスの観光をした後、リスボンへ向かい空路マデイラ島に移動した。
今朝もかなり頭痛があり食欲がないのでパン1枚とヨーグルト、コーヒーだけで朝食を済ます。8時ホテルを出発、シルヴァスに向かう。シルヴァスはポルトガル南部の町で8世紀から13世紀までイスラム教徒に占領されていた。11世紀には5万人の人口がありヨーロッパのバグダッドと呼ばれていた。川に良港があったが土砂で埋まって町の重要性が失われ16世紀には司教座がファロに移り、19世紀にはアルガルベ地方の首府もファロに移ってしまった。
シルヴァス遠景(拡大)
出発後30分でシルヴァスに到着、旧大聖堂の前でバスを下車する。この建物はゴシック様式で、モスクのあった場所に13世紀に建てられ、1755年のリスボン大地震の後建て直された。イスラム教徒はキリスト教徒の地を征服しても教会を壊さなかったが、キリスト教徒はイスラム教徒の地を征服するとモスクを破壊してしまう。
次に城の址に行く。この城はローマの遺跡の上にイスラム教徒が城を造り、さらに13世紀にキリスト教徒が城を造ったものである。
城を出てイスラム時代の雰囲気の残る曲がりくねった細い道を通って考古学博物館に向かう。
細い道
考古学博物館は19世紀の建物を利用してあり、目玉は保存状態の良いイスラム時代の井戸兼貯水槽である。この井戸は直径4m、深さ18mあり、井戸の周りには下へ降りる階段がついている。
10時シルヴァスを出発、途中ドライブインで15分の休憩をとり、13時に4月25日橋を渡る。この橋はサンフランシスコのゴールデンゲートと同じ会社によって造られ1966年8月に開通した。全長が2278mあり、ヨーロッパで1番長い吊り橋である。開通当時はサラザール橋と呼ばれていたが、1974年4月25日にサラザールの独裁政治が終わるとこの名に変えられた。
4月25日橋 橋から眺めたリスボン市街
昼食はリスボンのGRANDO ELIASというレストランでとる。メニューは野菜クリームスープ、ポークとエビと野菜でデザートはパステル・デ・ナタというカスタード・タルトであった。
レストラン メインディッシュ
14時30分にレストランを出発、20分でリスボン国際空港に到着した。ここでエアー・ポルトガルのTP4665便に搭乗して16時45分にリスボンを離陸した。30分ほどして軽食が出たがマデイラに到着後夕食をとるのでパンとケーキは残しあとは退屈しのぎに平らげてしまった。
機内食
18時20分、1時間35分のフライトでマデイラ島に到着した。マデイラ島はリスボンから700km、アフリカから600km、カナリア諸島から400kmの位置にあり、島の長さは57km、幅は23km、面積は741平方kmあり、現在の人口は26万人である。
マデイラ島は1419年エンリケ王子の父ジョアン1世の時代に発見され、エンリケ王子の時代に開発された。島を2分し2人の総督に管理させ、総督は本土の資産家に呼びかけて開発させた。労働者には初めは罪人を働かせていたが、南アメリカ、北アフリカ、カナリア諸島から奴隷を連れてきて働かさせた。このような開発が17世紀まで続いた。その後スペインの総督が治め、1976年に自治権を獲得して特別自治区になった。
ガイドのルシアさん、ドライバーのエルリンドさんに迎えられてフンシャルに向かう。フンシャルはマデイラ島の首都で人口は12万人である。フンシャルという名はフンショ(ウイキョウ)がこの地にたくさん生えていることに由来する。沖合いにはマデイラ諸島に属するデザータス島の影がうっすらと見える。
マデイラ空港 デザータス島
高速道路を走っていると道端の斜面に龍舌蘭によく似た草から曲がった長い花茎が出ているのが見えた。スワンズネックという草で龍舌蘭と同様に花を咲かせると枯れてしまう。高速道路はポルトガル本土とEUの資金で造られたものでマデイラ島を半周しており、将来は島を一周することになっている。
スワンズネック(拡大)
19時5分フンシャルのキンタ・ダ・ソルに到着した。夕食はビュッフェであった。テーブルに紙製の王冠や帽子がおいてあった。従業員も皆かぶっているので我々も昔の人になったつもりで帽子をかぶって食事をした。