ポルトガル旅行記
4日目 トマール、ファティマ、バターリャを観光後ナザレへ
今日はトマール、ファティマ、バターリャを訪問した後ナザレへ移動した。
小雨が降っていたが朝食前にブサコの森の中を散歩をする。バスで登ってきた道を下っていくと水の公園があった。流れの下には池があり白鳥や黒鳥が泳いでいた。このあと昨日くぐった幅の狭い門まで行こうとしたが雨が強くなってきたので引き返した。
水の公園
8時40分宮殿ホテルを出発、来た道を戻ってトマールに向かう。先ほどの雨は本降りになってしまった。今回の旅行は天気に恵まれない。
11時トマールに到着、早速キリスト修道院を見学する。この修道院は1147年のサンタレンの戦いでイスラム軍からこの地を奪還してくれたテンプル騎士団にアフォンソ・エンリケスが感謝して土地を与え、そこに修道院が建てられたものである。テンプル騎士団はソロモン王の時代の神殿址に本拠地を置くローマ法王直轄の騎士団で、王侯貴族の次男以下が騎士になったので金持ち軍団であった。
キリスト修道院には12世紀の城壁から16世紀のマヌエル様式の建物まで残っていて世界文化遺産に指定されている。
城壁(拡大)
12世紀に造られた門をくぐり内部に入ると丸い建物が目についた。この建物も12世紀に造られている。
丸い建物の横に16世紀に造られたマヌエル様式の飾りのある入口がある。この入口はリスボンにあるジェロニモス修道院のイミテーションになっている。
中に入っていくとフィリップの回廊に出た。マヌエル1世の息子ジョアン3世によって造られた回廊であるが、1580年にスペインのフィリップ2世がここでポルトガルの王として戴冠式を行ったのでこの名がついた。この修道院には回廊が7つ残っているが修道士たちは回廊に出て空や鳥を見て気分転換を図っていた。
フィリップの回廊(拡大)
隣の建物にはマヌエル様式の大きな窓が残っている。ここには天測儀やロープ、木の根、海藻、猫、イカの足など航海に関係するものが掘られている。木の根はボートを作るために、海藻はビタミンを摂るため、猫は鼠を捕るため必要だった。雨が当たるため苔に覆われてしまっているのが惜しかった。
マヌエル様式の窓(拡大)
次に修道士の部屋を見る。廊下の両側に4畳から16畳くらいの部屋が並んでいてまるで牢屋のようだ。4畳くらいの部屋は個室、16畳くらいの部屋は4人部屋で、床に木の貼られている部屋と石のままの部屋がある。木の貼られている部屋は金持ちの修道士が入った部屋で修道院といえども俗世間の影響が出ている。
修道士の部屋
次にテンプル騎士団の円堂を見る。この円堂はエルサレムの聖墓をかたどって12世紀に造られたものでヨーロッパで最も保存状態が良いものである。中央には8本の柱で囲まれた丸い部屋があり、壁には美しいフレスコ画が描かれている。
この円堂の周りの壁に大きな出入り口がついているがマヌエル1世が壁をくり貫いて作ったもので、その先には聖歌隊の席が造られており、聖歌隊の席の下には修道士たちの会議室が造られている。
次に墓の回廊に行く。ここには騎士と修道士の墓があり、壁の窪みにはヴァスコ・ダ・ガマの弟のディエゴ・ダ・ガマの墓がある。回廊の壁の下部にはスペインから運ばれたタイルが貼られている。
墓の回廊(拡大) ディエゴ・ダ・ガマの墓
次に清めの回廊に行く。中庭には井戸や貯水槽があり、修道士が洗面するために用いられた。回廊に面して17世紀のアズレージョで飾られた小部屋がある。
清めの回廊の2階からはフランス国王によって解散させられたテンプル騎士団を引き継いだキリスト騎士団の団長を勤めたエンリケ王子の宮殿址が見られる。
エンリケ王子の宮殿址
12時30分見学を終えてバスに乗る。歩道の石畳にはキリスト騎士団の紋章の十字が描かれている。
歩道の敷石
トマールを発って1時間ほどでファティマに到着した。ファティマは1917年5月13日にルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人の牧童が聖母マリアの出現を見、その後毎月13日に聖母マリアは出現し、5ヵ月後の10月13日は6万人もの人が集まる中で3人は聖母マリアの姿を見た。フランシスコは1919年に、ジャシンタは1920年にスペイン風邪で亡くなったが、ルシアは存命中でコインブラの修道院に住んでいる。
まずA FOCAというレストランで昼食をとる。メニューはサラダ、タコご飯、プリンであった。
タコご飯
食後聖母マリア出現の礼拝堂とバジリカを観光する。バジリカの前には50万人が集まることのできる大きな広場があり、広場の端には2000年に造られた聖なる門がある。
聖なる門 広場とバジリカ(拡大)
パジリカの左手前には聖母マリアが出現した場所に建てられた聖母マリア出現の礼拝堂がある。
聖母マリア出現の礼拝堂
バジリカの入り口の上部には王冠を受ける聖母マリアの絵が描かれている。マリアがかぶっている王冠の部分には狙撃されて奇跡的に助かったパウロ2世がお礼のために訪れ撃たれたピストルの弾をはめ込めこまれている。ファチマの奇跡の際聖母マリアから3つの予言があり、2つは公開されていたが3つ目の予言は秘密になっていた。パウロ2世の狙撃事件の後に公開された3つ目の予言はパウロ2世が狙撃されることであった。
バジリカの中には フランシスコとジャシンタの棺が収められている。その横にある棺にはルシアが入ることになっている。
王冠を受けるマリア フランシスコとジャシンタの墓
バジリカ内(拡大)
強い雨が降る中の見学を終えて15時15分ファティマを出発、バターリャへ向かう。途中の道路沿いの山は石灰岩で出来ていて石切り場がたくさん見られる。
1時間ほどでバターリャのサンタ・マリア修道院に到着した。この修道院は1385年にバターリャ近郊のアルジョバロータの戦いで6500人のポルトガル軍が17000人のカスティーリャ王国(スペイン)軍に奇跡的な勝利を治めたことを感謝してジョアン1世が1388年に建てたものである。修道院の前にはアルジョバロータの戦いでポルトガル軍を率いたアルヴァレシュ・ペレイラの像がある。
勝利のサンタ・マリア修道院(拡大) アルヴァレシュ・ペレイラ像
正面の入り口はゴシック様式で12使徒像など多数の彫刻が施されている。
入り口の装飾(拡大)
この修道院の身廊は高さが32mあり尖ったアーチとしてはポルトガルで最も高い。窓には16世紀に作られたステンドグラスがたくさんある。
身廊(拡大) ステンドグラス
創立者の間にはジョアン1世と8人の子供の棺が置かれている。中央にはジョアン1世とイギリス人の王妃のフィリッパ・デ・ランカスターの棺、周りの壁際には彼らの息子の棺が置かれている。ジョアン1世と王妃の像は仲良く手をつないでいる。
ジョアン1世と王妃の棺 エンリケ王子の棺
次いで回廊に出る。この回廊は当初ゴシック様式で造られたが、その後マヌエル様式に装飾されたので窓のレース模様が美しい。回廊の一隅に噴水がある。噴水の近くには食堂があり、修道士は食事の前に噴水の水で手を清めた。
回廊に面した参事会室には無名戦士の墓がある。第1時世界大戦でフランスとアフリカのモザンビークで戦死した2人の無名戦士の墓を2人の衛兵が不動の姿勢で警護していた。この部屋は20m四方あり柱がない。天井のドームを造って木の支えを外すときは非常に危険なので死刑囚に作業をさせた。1回目は崩れ落ちたが2回目はうまくいき死刑囚は刑を免れ解放されたという。
参事会室の近くには無名戦士の博物館もある。この回廊の2階は現在石工の学校になっている。
衛兵
一旦外に出て未完の礼拝堂へ行く。この礼拝堂はジョアン1世の長男ドゥアルテ王の命で建設が始まったが完成前にドゥアルテ王が亡くなったのでマヌエル1世が引き継いだ。しかしマヌエル1世は建設の意欲を無くしジェロニモス修道院のほうに金をかけたので建設は中断してしまった。未完の礼拝堂の中にはドゥアルテ王と王妃の墓が収められている。
未完の礼拝堂
礼拝堂の柱はマヌエル様式の精巧な彫刻が施されている。
柱の装飾
16時50分バターリャを出発、松林の多い道を通って35分ほど走ってナザレに到着した。ナザレは4世紀にパレスチナのナザレからロマノという僧が聖母マリアの像を持ってきたため名付けられた。人口は3万人で漁業と観光業の町である。
まず丘の上にあるシティオ展望台に行く。ここからはナザレのプライア地区と遠浅の砂浜の眺めが素晴らしい。
シティオ展望台からの眺め(拡大)
展望台の脇には12世紀に鹿を追いかけていた騎士が霧のため道を見失ったとき突然聖母マリアが現れ馬を止めたところ目の前が断崖絶壁で、命を救われた騎士が感謝して建てた礼拝堂である。その脇にはヴァスコ・ダ・ガマが来たことの記念碑が建っている。
メモリア礼拝堂 ヴァスコ・ダ・ガマの記念碑
展望台の近くにはナザレから持ってこられた聖母マリア像が祀られているノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会が建っている。壁を埋め尽くしたアズレージョや、祭壇や天井の金泥細工が見事である。
ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会(拡大) アズレージョ(拡大)
祭壇(拡大) 天井(拡大)
展望台の近くには闘牛場がある。ポルトガルの闘牛は観客の前では牛を殺さないが、外に出して殺すのだから残酷なことは変らない。
闘牛場
18時10分プライア地区にあるプライア・ホテルに到着した。夕食はホテルのレストランでとる。メニューは野菜スープ、サラダ、鰯の塩焼き、フルーツサラダだった。鰯は皮が固く身がしまっていておいしかった。鰯の塩焼きは安い大衆料理なので最初に日本のツアー客が訪れたときはホテル側は驚いたらしいが、今では定番になってしまっている。