ポルトガル旅行記
3日目 アヴェイロ、コインブラを経てブサコへ
今日はボルサ宮を見学した後、水の都アヴェイロを訪れ、その後コインブラに行ってコインブラ大学や旧市街を見物し、その後ブサコへ行って宮殿ホテルにチェックインした。
時差ぼけのせいか今日も2時頃に目が覚めてしまった。雨が強く降っている。眠れないので昨日とったメモを整理する。字が下手なうえ土屋さんの説明が早口でメモが間に合わないので自分の書いた字とはいえ解読するのに苦労する。1時間ほどしてようやく終えたのでまた布団にもぐって休む。これから毎日メモの整理が大変だ。
雨が小降りになってきたので今日も朝食前に散歩をする。再びサンタ・カタリーナ通に出て昨日行かなかったボリャオン市場に行く。2階建ての広い中庭のあるビルで、中庭も小屋が建てられて売り場になっている。中庭の入り口近くには花の売り場があり、奥の方や脇の方、2階には野菜、魚、肉などが並んでいた。時間が早いせいか閑散としていた。
ボリャオン市場
花売り場 野菜売り場
昨日バーゲンセール中の靴屋から革靴を4足も買い良い靴を安く買えたといって喜んでいた人がいたので、ショーウインドーを眺めながら歩くと皮製のウォーキングシューズが25ユーロ(約3,500円)で売られていた。買いたかったが、開店前で買うことができない。どこかで買えるだろうと思って通り過ぎたが、この後買うチャンスがなく昨日買わなかったことを後悔する羽目になってしまった。
9時ホテル発、雨は止んだがどんよりした曇空だ。まずポルサ宮に向かう。ボルサとは株という意味で、ボルサ宮は1842年から1910年まで68年かけて建てられ、最近まで証券取引所として使われてきた。内部の写真撮影が禁止されているのが残念だ。
ボルサ宮(拡大)
入り口を入ると昨日の大統領の訪問のために敷かれた赤い絨毯がそのままになっていた。我々も絨毯の上を歩いて中に入っていくと大広間に出た。ここは1833年の火災で焼失したサン・フランシスコ修道院の回廊を利用して造った部屋で、天井にはポルトガルと通商関係のあった20カ国の紋章が描かれている。床にはポンペイ遺跡のデザインを模して作られたモザイクがある。
広間の正面には花崗岩で造られた階段がある。階段を登ったところの天井には農業、工業、商業、法律を表すフレスコ画があり、天井には重さ1トンの豪華なシャンデリアが2つかかっている。
先に進むと右側に証券取引所総裁の部屋がある。壁にはローマ時代の働く人たちの姿がフレスコ画に描かれている。床はブラジルとインドから持ってきた色の違う木の組木細工になっている。
左に進むと黄金の間に出る。天井は金の縁取りのあるスタッコで飾られている。その隣りの部屋は会議室で、部屋の正面には紋章が飾られている。ブロンズ製のように見えるがスタッコに色を塗ってブロンズに見せかけてある。壁の上部も木のように見えるが、これもスタッコに色を塗ったものである。この部屋にも重さ1トンの豪華なシャンデリアがかかっている。
その隣は王の間で、ポルトガル最後の王朝ブラガンサ朝の最後の6人の王の肖像画が壁に飾られている。部屋の中央に置かれた大きなテーブルは1900年のパリ万博でゴールドメダルをとったもので、1人の職人がポケットナイフを使って3年かけて作ったという。
その隣にはアラブの間がある。この部屋はスタッコと金で作られた繊細な彫刻で埋め尽くされ、ポルトガルで最も美しい部屋と言われている。この部屋はスペインのアルハンブラ宮殿を模して18年かけて造られたもので、68kgの金が使われている。壁はアラビア語で「アッラー・アクバル」という字と「アッラーはマリア2世を保護する」という字で埋め尽くされている。この部屋は各国の大統領や王が訪問されたときの歓迎会に使われるが、一般の人でも24時間7000ユーロ(約90万円)で借りることができる。
30分ほどボルサ宮を見学した後、バスに乗りアヴェイロに向かう。アヴェイロは入り組んだ潟のほとりにできた水郷都市で人口は4万人、製塩と漁業で栄えてきた。18世紀には運河が造られポルトガルのヴェニスと言われている。現在はポルトガル第3の工業都市で穀物の加工、プラスチック製品、自動車などの生産をしている。
アルベイロ出身のルイス・アルメイダが大分市に日本最初の洋式病院を作ったというのでアルヴェイロ市と大分市は姉妹都市になっていて、大分市医師会は医師会立アルメイダ病院を運営している。
塩田
1時間ほどでアヴェイロに到着した。先ずアヴェイロ中央駅を見学する。この駅の壁面にはアヴェイロ近辺の風景を描いたたくさんの青いアズレージョで飾られている。
アヴェイロ中央駅(拡大)
プラットフォーム(拡大) アズレージョ
アズレージョを見ている間に添乗員の土屋さんがアヴェイロの名菓オボス・モレスを買ってきてくれた。小豆の代わりに卵の黄身の入った甘い最中で、カロリーが高くコレステロールがたっぷり入っていそうだ。ポルトガルの菓子の原型は修道院の菓子にある。修道院では僧衣を糊付けするために卵の白身を使っていた。黄身が余ってしまうので黄身を使った菓子を考え出したという。
オボス・モレス
次いで中央運河のほとりにある魚市場を見物する。獲れたばかりの魚がたくさん並んでいてイカも置いてあった。市場というと人でごった返している風景を連想するがポルトガルの市場は閑散としている。
魚市場 イカ
このあと町の中心部に向かう。中央運河のほとりには石造りの古い建物が並び、水面に写って美しい。運河にはモリセイロという肥料用のモリス(海藻)を採るために使われてきた小舟がたくさん浮かんでいる。平底の舟で先端は尖ってそり上がっていて絵が描かれている。フェニキアの影響のある舟だという。
アヴェイロ中央運河(拡大)
橋のたもとから川と直角に石畳の道を歩いていくとレプブリカ広場に出た。この広場には正面の壁をアズレージョで埋め尽くされ後期ルネッサンス様式の玄関で名高いミゼリコルディア教会と鐘楼のついた市庁舎があった。
このあとコインブラへ向かい50分ほどで到着した。コインブラはポルトガル領内を流れる川としては最も長いモンデーゴ川のほとりにある都市で、リスボン、ポルトについでポルトガル第3の都市である。人口は10万人、そのうち2万2千人が学生でコインブラ出身者は5%しかいない。学生が落とす金が重要な財源になっている。丘の上と下に市街があり、丘の上にはコインブラ大学や修道院がある。
コインブラ旧市街(拡大)
昼食をモンデーゴ川にかかるサンタ・クララ橋の近くのDON PEDROというレストランでとる。メニューは野菜スープ、サラダ、バカリャウ・ア・ブラーシュという鱈を入れたご飯であった。土屋さんがカステラの原型と言われるパン・ド・ローを買ってきてくれた。生焼けにしてあり中身がどろどろしている。
バカリャウ・ア・ブラージュ パン・ド・ロー
レストランの入り口や壁には古いワインが置いてあった。古さを示すためなのか埃がたまって白くなっていた。
埃だらけの古いワイン
食後バスで坂道を登ってコインブラ大学へ向かう。途中16世紀に造られた水道橋、18世紀にボンバル公が作った植物園、妻のイネスが殺された後ペドロ王子が復讐を誓って涙を流した場所に造られた展望台、ファティマの奇跡の目撃者ルシアさんが入っている修道院などを車窓から眺める。
コインブラ大学はイタリアのボローニャ大学、フランスのソルボンヌ大学に次いで3番目に古い大学で、1290年ディニス王によって創設された。最初はリスボンにあったがコインブラに移り再びリスボンに戻ったが、1537年コインブラの王宮をジョアン3世に寄付されコインブラに落ち着いた。18世紀には4つの学部であったが、現在は獣医学部以外のすべての学部があるという。
サラザール時代に造られた科学部や図書館などの新しい校舎の間のディニス王の像の立った広場で下車し、鉄の門をくぐって旧コインブラ大学の中庭に入る。鉄の門の上部にはディニス王の像、最上部には知の神ミネルバが飾られている。また中庭側の門の上部にはジョアン3世の像とミネルバの像が飾られている。
中庭の正面にはラテン回廊と呼ばれる建物が建っている。昔はラテン語で講義が行われ、ラテン回廊の中では学生はラテン語以外の言葉を話すことを禁止されていた。壁にはセビリアのタイルを使ったタイル画が残っているが16世紀には柱もタイルで覆われていてまるでモスクのようだったという。
ラテン回廊の左隅に時計塔がある。18世紀はこの塔で鐘を鳴らし学生に講義の始まりを伝えていた。学生たちからは「牝山羊」と呼ばれていた。中庭の中央にはジョアン3世の像がある。
旧コインブラ大学中庭(拡大)
ラテン回廊の前で黒いケープを着た学生たちが記念写真を撮っていた。人文学部ということだったが、大部分の学生が女性だった。このケープは卒業式に着るのものであるが、今日は写真をとるために特別に着ているとのことであった。
黒ケープの学生(拡大)
ラテン回廊の左側の建物の左端に旧図書館があった。1724年にジョアン5世によって造られ、16世紀から18世紀の印刷本3万冊が保管されている。手書きの貴重本は別室で保護されている。この建物の下にさらに2階あり、合わせて30万冊の蔵書が収められている。
虫に本を食べられないように館内にコウモリが飼われていて、糞で汚れないよう夜間はテーブルにシートが敷かれる。この図書館は1910年まで使われており、自然光だけで使用されたので閲覧時間は10時から15時までだった。
この図書館は3つの部屋がつながっていて、正面の壁にはジョアン5世の肖像画が飾られている。
蔵書(拡大) ジョアン5世像(拡大)
図書館の隣に礼拝堂がある。16世紀に造られた王宮の礼拝堂で壁はカーペット・アズレージョと呼ばれる絨毯模様の装飾タイルで飾られている。祭壇には階段がついているが、これは天国に行くことの難しさを表している。
祭壇の対面には王族席と聖歌隊席のある2層のバルコニーがある。その左脇には1733年に作られたイベリア様式のパイプオルガンがあり、今でもミサや結婚式に使われている。この礼拝堂で結婚式を挙げるには新郎新婦のどちらかがコインブラ大学の学生か教職員であることが必要という。
中庭のはずれにあるテラスからコインブラの景色を眺めることができる。モンデーゴ川の対岸には悲恋物語のヒロイン、イネスが埋葬されていた旧サンタ・クララ修道院の廃墟が見える。
テラスからの眺め(拡大)
コインブラ大学の見学を終えたあと歩いて丘を下る。途中16世紀の家を改装した薬学部の校舎があった。薬学部は最も入学が困難な学部で高校時代の平均点が20点満点で19.8以上ないと入れないという。ちなみに工学部だと平均点が10点くらいあればよいそうだ。
薬学部
坂を下っていくと旧大聖堂の前に出た。この大聖堂はレコンキスタ(国土回復)の時代に造られたので要塞のような外観をしている。15世紀にフランドルの芸術家によって作られた聖母マリアの昇天の木像を祀った主祭壇がある。主祭壇の右隣には16世紀のフランスの彫刻家によって作られたキリスト像と福音書を書いた4人の像、10人の使徒の像がある。石灰石で作られているが屋内なので傷まず新しく見える。右手前には16世紀にフランスの工房で作られた洗礼台があり縁には精巧な彫刻が施されている。
旧大聖堂(拡大)
道端にお土産屋さんが並んでいて各学部の紋章も売られていた。学生たちはこの紋章をケープの裏側につけて歩き回るという。
学部の紋章(拡大)
さらに坂を下るとアル・メディーナ門に出た。ここから下がアル・メディーナ地区である。
アル・メディーナ門(拡大)
坂を下りきると5月8日広場に出た。正面にはサンタ・クルス修道院が建っている。ここにはポルトガルの初代の王アフォンソ・エンリケスと次代の王サンチョの棺が収められている。周囲の壁は美しいアズレージョで飾られている。
サンタ・クルス修道院(拡大)
主祭壇(拡大) アズレージョ(拡大)
広場の片隅で焼き栗を売っていた。あわてて皮ごと食べて閉まったが皮が軟らかくておいしかった。
焼き栗屋さん 焼き栗
5月8日広場からフェレイラ・ボルゲス通りという商店街が続いている。この通りの脇にも細い通りがあり、雰囲気の良い商店が並んでいる。フェレイラ・ボルゲス通りを抜けるとポルタジェン広場に出た。路上のカフェでお茶を飲む人たちの姿が見られた。
16時20分コインブラを出発しブサコへ向かう。途中ルーゾで下車する。ここにはミネラルウォーターの出る泉があり、泉の周囲にはホテルなどが立ち並び保養地になっている。この泉の水はカルシウム分が多くて骨と内臓に良いということでペットボトルに詰められてポルトガル全土で売られている。地元の人たちが車でやって来て大きなポリタンクに何本も汲んでいた。我々もたっぷり水を飲んだ後ペットボトルに入れて持ち帰った。
ミネラルウォーター
ルーゾをたつと緑の多い山道になる。途中バスの横腹が擦れてしまいそうな細い門を通り抜けて森の中の坂道に入っていく。このあたりは国立公園になっていて世界各国から持って来られた400種の木が茂っている。5分ほど坂を登り17時10分ブサコ・パレス・ホテルに到着した。
ブサコ・パレス・ホテル(拡大)
ブサコ・パレス・ホテルは17世紀の初めに建てられたカルメル会の修道院と1888年に建てられた王室の狩猟のための宮殿を利用したホテルなので外観は宮殿そのものである。
旧修道院(拡大) 旧宮殿(拡大)
側面(拡大) 側面の廊下(拡大)
館内も豪華で壁や天井はスタッコの彫刻で飾られ、廊下や階段の壁にはナポレオンとの最後の戦いの様子が描かれたアズレージョが多数描かれている。
客室は20畳くらいの広さのツインの部屋で天井にはシャンデリアがかかっている。バスルームは6畳くらいの広さがあり1人で泊まるのはもったいない感じだ。
客室
スーツケースを受け取ったあとホテル脇の山に登る。階段の多い遊歩道が頂上までついており、10分ほど登ると見張り台の址に出た。ここからはブサコ・パレス・ホテルやブサコの街が良く見える。さらに5分ほど登ると頂上の広場に出た。隅にはクルス・アルタの十字架が立っている。この広場にはホテルから車で来ることができるが、樹木に遮られてブサコ・パレス・ホテルの眺めはあまり良くない。
ブサコ・パレス・ホテル(拡大) クルス・アルタの十字架
夕食は豪華なダイニングルームでとった。いつもはジャンパー姿で食べているのだが、今回ばかりはジャケットに着替えて席についた。メニューはクリームスープ、ポークのロースト、オレンジタルト、レモンアイスクリームであった。このホテルではここでしか飲めない特製ワインを置いてあるが、アルコールに弱い私には味わえないのが残念だ。