ポルトガル旅行記

2日目 ポルト市内、ブラガ観光

 今日は午前中ポルトの市内を観光し、午後宗教都市ブラガのボン・ジェズス教会を訪問した。

ポルトガル旅行コース:ポルト〜ブラガ〜ポルト

 出発の時間が遅いので朝食前に街の中を1時間ほど散歩する。7時にホテルを出たがまだ薄暗い。冬のヨーロッパは本当に昼が短い。ホテルの前の通りを北北東に進むとサンタ・カタリーナ通りに出た。この通りはポルトのメインストリートであるがまだ通勤の人がちらほら歩いているだけである。

 10分ほど歩いて左に折れて西北西に少し歩くとトリンダーテ教会に出た。石造りの荘厳な建物である。まだ時間が早いので扉が閉まっていて中は見られない。さらに西北西に進むと市庁舎の前に出た。高い時計塔のある教会を思わせる建物である。市庁舎の前は広場になっていてウンベルト・デルガード将軍の像がある。

 
トリンダーテ教会(拡大)             市庁舎(拡大)

 雨がぽつぽつと降ってきたので引きあげることにした。広場の前から続くアリアード大通りを通ってホテルの方向に進むと広場に出た。ベルダーデ広場で中央にはジョアン1世の騎馬像が建っている。

 
リベルターデ広場(拡大)             ジョアン1世騎馬像(拡大)

 ホテルは広場の近くにあるはずだが地下鉄の工事中で道がわからなくなってしまい、見当をつけて歩いていたら同じツアーのメンバーを見つけほっとする。目の前がサン・ベント駅だというので中に入ってみる。この駅のホールを飾るアズレーションは有名であるが、あいにく修理中で足場が組まれていて良く見えない。改札なしにプラットホームに出られるので行ってみたが時間が早いせいか閑散としていた。

 
エントランスホール             プラットホーム

 交通渋滞でバスの到着が遅れ、9時15分にホテルを出発する。雨は本降りになっている。この旅行を申し込んだ後でガイドブックを買ったら今の時期は雨期で天候が不安定だと書いてあり、しまったと思ったのだが、不安が的中してしまった。

 バスはサンタ・カタリーナ通りを通って市庁舎前に出て、アリアードス大通りを通ってリベルターデ広場に出る。何のことはない。先程歩いたコースと同じだ。この後西に進みクレリゴス教会の前に出る。この教会の鐘楼は18世紀に造られポルトガルで最も高い77mの高さがある。


クレリゴス教会(拡大)

 次に大聖堂に行く。この建物は12世紀にロマネスク様式で建てられ、16世紀にゴシック様式で増築され、17世紀にはバロック様式で増築されているので1つの教会で3つの様式を見ることができる。大聖堂の内部の写真撮影は許可されているが、男性は帽子をとらなければならない。

 
大聖堂正面(拡大)                身廊(拡大)

 建物は花崗岩で造られ正面には14世紀に作られたバラ窓がある。


バラ窓(拡大)

 中央祭壇の左手にはサン・ティシモ祭壇がある。800kgの銀を使用て18世紀に造られたという。


サン・ティシモ祭壇(拡大)

 大聖堂の右手には白い司教館の建物がある。大聖堂の前のテラスからはドウロ川やポルトの街並みを眺めることができる。ドウロ川はスペインから流れてきている川で全長780kmあり、ポルトガル領内を220km流れている。

 
司教館             テラスからの眺め(拡大)

 このあとエンリケ王子広場へ向かう。エンリケ王子はポルト出身で、航海学校を作って大航海時代の基礎を築いた。途中道端には木蓮、コブシ、アーモンドなどの花が咲いており、公園では椿の花も見られた。椿はジャポニカと呼ばれポルトガルの各地に定着しているという。
 5分足らずでエンリケ王子広場に到着した。広場の中央には右手をアフリカの方向に差し上げたエンリケ王子の像がある。

 
エンリケ王子広場(拡大)        エンリケ王子像(拡大)

 広場の脇にはボルタ宮とサン・フランシスコ教会がある。ポルタ宮は大統領が今日訪れるということで入れないで見学は明日に回し、サンフランシスコ教会に入る。この教会は14世紀に造られ、内部は18世紀に造られ樫の木と400kgの金を使ったターリャ・ドーリャで覆われている。ターリャ・ドーリャとは樫の木で作った彫刻の上に金泥を塗ったものである。ここに使われている金はブラジルから持ってこられた。
 内部の写真の撮影は禁止されているがビデオカメラでの撮影はOKだった。写真撮影を認めるとフラッシュの使用を禁止しても無視してしまう人が多いからなのだろう。

 
サン・フランシスコ教会(拡大)         主祭壇(拡大)

 壁には16世紀に長崎で十字架にかけられて殺されたフランシスコ派の修道士や13世紀にモロッコで首を切られて殺された修道士の彫刻が飾られている。

 
長崎の殉教(拡大)          モロッコの殉教(拡大)

 側壁にはエッサイの樹(イエスの家系図)祭壇やサン・アントニオ祭壇などターリャ・ドーリャで飾られた多数の祭壇がある。

 
エッサイの樹の祭壇(拡大)     サン・アントニオの祭壇(拡大)

 ここにはエンリケ王子の両親のジョアン1世とフィリパの結婚式を描いた14世紀のフレスコ画がある。この画はポルトで唯一残った14世紀のフレスコ画である。


14世紀のフレスコ画

 このあとドウロ川にかかるドン・ルイス1世橋を渡ってヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区に出る。ドンルイス1世橋は1886年にエッフェルの弟子によって設計されたもので川の両側の丘の上街用と下の街用の2層の構造になっている。
 ポルトにはこのほかにエッフェルが設計し1877年に完成した鉄道橋ドナ・マリア・ピア橋、ドナ・マリア・ピア橋の代りに造られた鉄道橋サン・ジョアン橋、高速道路専用のフレイショ橋、2002年に造られたエンリケ王子橋、下流にあるアラビダ橋の5つの橋がかかっている。


ドン・ルイス1世橋(拡大)

 ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区にはポルト・ワインの工場がたくさん並んでいて、ドウロ川にはワインを運ぶラベーロ船が停泊している。川岸からは対岸にポルトの古い石造りの建物や教会などが見えて素晴らしい眺めである。雨が降っていて写真の色が冴えないのが残念である。 

 
ラベーロ船(拡大)            対岸の風景(拡大)

 サンデマンのワイン工場に入る。この会社は1790年にイギリス人のジョージ・サンデマンによって設立され、ここの工場は1811年から使われているという。ポルトワインはアルコール強化ワインで、発酵の途中でブランデーを加えて発酵を停止させ糖分の分解を押えたものである。アルコール分は20%ある。
 入り口のドアーの脇には年号が書かれたたくさんの黒いプレートが貼られているが、過去にあった洪水の水位を示している。

 
サンデマン社             入り口

 黒い帽子をかぶり黒いケープをまとったマリアという美人の娘さんが工場を案内してくれた。この格好はサンデマンのトレードマークになっていて、黒い帽子はスペインの帽子、黒いマントはポルトガルのコインブラの学生が着るケープで、サンデマンがスペインでシェリー酒を造り、ポルトガルでポルトワインを造っているので2つの国のシンボルを用いているという。


マリアさん

 ワインの貯蔵所に入ると酵母の臭いがたち込めていて、たくさんの樽が並んでいる。大きな樽は60,000リットル、小さな龍は550リットル入るという。床は木になっているが、樽を運ぶときに傷まないようにしているのだという。ほかにガラスのビンに入れて貯蔵しているものがあるが、これはビンテージワインで特別な年にとれた出来の良いワインをボトルに詰めて寝かせている。ボトルでも100年もつという。ただ、おりができるので飲む前にデカンタに入れておりを除かなければならないそうだ。
 樽の数を聞いてみたら両手を広げて数が多すぎてわからないと言った。以前レバノンのワイン工場でも同じ質問をしたら同じ答えだったので樽の数は企業秘密なのかもしれない。


ワイン貯蔵所

 見学の後ワインの試飲会になった。ポルトワインには白ブドウから造られたホワイト、赤ブドウから造られ大きな樽で熟成されたルビー、小さな樽で熟成されたトニーの3種類がある。ホワイトは食前に、ルビーは食後に飲まれる。ホワイトワイン、ルビーワイン、1997年のビンテージワインの3種を飲ませてもらったが、いずれも甘口でおいしかった。飲み干したかったがアルコールにからきし弱く、後が怖いので少し口をつけるだけで済ました。


ワインの試飲

 再びドン・ルイス橋を渡り対岸のカイシュ・ダ・リベイラ地区でバスを降りる。河岸を歩いているとたくさんの蝋燭が捧げられた慰霊碑があった。1809年にナポレオン軍がガイアに攻めてきたときに亡くなった600人の市民の慰霊碑だという。200年経った今もって大勢の人がお参りしているということは信仰心を失ってしまった今の日本では考えられないことである。

 裏通りを見ると雨が降っているのに窓の外に洗濯物を干したままにしてある。共働きで朝干したまま出かけてしまっているのだろうか。

 
慰霊碑            裏通り

 少し時間が余ったので土産物屋に入ってフィリグラーナという銀のアクセサリーを作る作業を見物する。切断した銀線をピンセットで折り曲げて型の中にはめ込んでいき、はめ込みがすべて終わると銀粉をかけ火で銀粉を融かして固定する。なかなか根気の要る仕事である。

 
フィリグラーナ

 お土産物の中にはポルトガルのシンボル雄鶏を題材としたものが多かった。


雄鶏の置物

 昼食はシェー・ラピン(兎の家)というレストランでとる。店内は世界中のガラクタが並べられまるで骨董品店みたいだ。メニューはオリーブオイルがたっぷりかかったミックスサラダ、カルディラーダという3種類の魚とポテトが入った鍋料理、ブドウであった。


シェー・ラピン
 
サラダ           カルディラーダ

 食後高速道路を通ってブラガに向かう。道の両側にはユーカリや松の林が続き、その合間にブドウ畑が見える。ユーカリは18世紀にオーストラリアから持ち込まれパルプの原料として用いられているが、土地の養分を全部吸い取ってしまいほかの木が育たなくなってしまうので問題になっている。


ブドウ畑(拡大)

 1時間ほどでブラガに到着した。ブラガには主教座が置かれていて宗教色の強い町なので「祈りのブラガ」と呼ばれている。町の中心部を通り過ぎ郊外の丘の上にあるボン・ジェズス教会で下車する。この教会は1811年に建てられたネオクラシック様式の建物で、主祭壇には十字架にかかったキリストの像が祀られている。

 
ボン・ジェズス教会(拡大)              主祭壇(拡大) 

 教会の前には長い階段が続いており、熱心な信者は下から膝で登って来るという。


階段とブラガのの街(拡大)

 階段の上部の踊り場には3美徳(博愛、希望、信仰)の噴水と五感の噴水がある。五感の噴水は触覚が蜘蛛、味覚が猿、嗅覚が犬、聴覚が牛、視覚が鷲の像になっていて、それぞれの感覚に対応する部分から噴水が流れ出している。

 
階段上部(拡大)                視覚の噴水

 このあと来た道を通ってポルト市内に引き返す。ボン・ジェズス教会の階段を下りていたときは傘を差していてもびしょ濡れになってしまうほどの猛烈な雨が降っていたが、雲の隙間から青空が見えてきた。今の時期は天気の変化が激しい。

 
ポルト新市街(拡大)               ドウロ川(拡大)

 ホテルに戻って少し休んだ後、再び散歩に出かける。まず、ドウロ川の方向に行き高い位置からドナ・マリア・ピア橋とドン・ルイス1世橋を眺める。対岸の丘の上にはノッサ・セーラ・ダ・ビラール修道院が見える。

 
ドナ・マリア・ピア橋(拡大)           ドン・ルイス1世橋(拡大)

ノッサ・セーラ・ダ・ビラール修道院(拡大)

 ペドロ5世の像のあるホテル前のバターリャ広場に戻り、再びサンタ・カタリーナ通りに出る。道の両側には商店が並んでいる。バーゲンの時期で30%引きとか50%引きなどのポスターがショーウインドウに貼られているが、ヨーロッパでは50%引きでもそれほど安くはないだろうと思い素通りする。

 朝と同じコースを歩いた後、塔に登ってみようと思ってグレリゴス教会に行ってみたが扉が閉まっていて入れなかったので、塔の写真を撮るため先にある公園まで歩いてから引き返す。今日はあちこち見物したうえ朝と晩に散歩をしたので2万7千歩以上も歩いてしまった。ポルトの道は凸凹した石畳で急な坂が多いのでかなり疲れた。

 
バターリャ広場(拡大)           サンタ・カタリーナ通り(拡大)

 夕食はホテルのレストランでとった。メニューはチキン入りの野菜スープ、ローストポークと野菜とポテト、ブドウであった。今日はたくさん歩いたから肥らないだろうと思って全部平らげてしまった。


メインディッシュ

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