マデイラ島旅行記

11日目 マデイラ島観光

 今日はマデイラ島をほぼ一周して海岸沿いの村々や岬を観光した。

 日の出を見ようとタクシーに乗ってガイドのルシアさんに聞いた展望台に行く。まだ暗くフンシャルの夜景が美しい。日の出を待っていたが展望台からは東の方向に山があって見えそうにない。山の東側まで歩いて行こうとしたが迎えのタクシーの時間に間に合わなくなるので途中で引き返した。


フンシャルの夜景(拡大)

 9時ホテルを出発、まずカマラ・デ・ロボスへ向かって海岸線を西へ走る。カマラ・デ・ロボスとはアザラシの部屋という意味で、マデイラ島が発見された頃はこのあたりにアザラシがたくさん棲息していたことから名付けられた。しかし狩猟でアザラシは絶滅してしまい、今はデザータス島に30頭、世界的にみても500頭しか残ってなく保護動物に指定されている。
 25分ほどでカマラ・デ・ロボスの上の展望台に到着、ここからカマラ・デ・ロボスの町や漁船などを眺められる。 

 
カマラ・デ・ロボス(拡大)         漁船

 ウインストン・チャーチルは1950年代にマデイラ島に2度来ている。フンシャルのホテル・リッツに泊まっていたが、カマラ・デ・ロボスまで来て絵を描いていた。チャーチルが座っていた椅子が今でも残っていて、近くの家の壁には椅子の画が描かれている。


チャーチルの座った椅子が描かれた壁(拡大)

 カマラ・デ・ロボスを過ぎた後はバナナ畑の中を走る。バナナは16世紀に中国から持って来られたが、今は8種類のバナナが亜熱帯性気候である海抜350m以下の土地1200エーカーで栽培されている。収穫量は年間18,000トンで80%が本土に送られている。マデイラ島野バナナは小型だが甘くておいしいという。バナナは1度実をつけると2度と実をつけないが、茎を根元で切断すると子供の茎が出てきて実をつける。根は30年も生き続けるという。

 9時50分ジラン峠に到着した。この岬は580mの高さがあり、ヨーロッパで1番高く世界でも2番目に高い岬である。崖淵の展望台から下を見ると遥か足下に白波が見え引き込まれそうになる。

 
ジラン岬(拡大)       岬からの眺め(拡大)

 次にリベイラ・ブラバに行く。海岸べりの町で市場や土産物屋が並んでいた。

 
海岸(拡大)                リベイラ・ブラバ(拡大)

 海岸から100mほど離れたところに聖ベネディクト教会があった。この教会は16世紀に造られ18世紀に改修されている。中には豪華なシャンデリアが吊り下がっていた。


聖ベネディクト教会(拡大)

 リベイラ・ブラバを出た後はくねくね曲がった山道を登ってマデイラ島の中央部の山を南から北へ通り抜ける。途中エンクメアーダという海抜965mの峠に出た。ここからはマデイラ島の南部と北部の海岸を同時に眺められるが、あいにくガスがかかっていて良く見えなかった。このあたりは国立公園に指定されていて、月桂樹がたくさん生えている。昔は島全体が月桂樹で覆われていたという。このあたりにはヨーロッパでは氷河時代に滅びてしまった有史以前の植物が残っている。 

 
エンクメアーダ(拡大)            峠からの眺め(拡大) 

 坂を下っていくと山腹に畑やブドウ畑が見えてきた。畑の境にはヘザーと呼ばれているエリカの木で柵が作られている。段々畑の間には白い小さな小屋が見られる。段々畑から落ちないように牛を小屋に入れて飼っているのだ。牛小屋の数は全島で16,000もあり、1つの小屋で1頭か2頭飼っているという。

 
柵に囲まれた畑(拡大)            ブドウ畑

 11時50分島を縦断して海辺の村サン・ヴィセンテに入る。この村は海から見えないように岩山の影に隠れるようにして家を建てている。中心部にはサン・ヴィセンテ教会がある。産業は観光業と農業で、農業は機械を使えないのですべて手作業である。海辺の岩の中には17世紀に造られた礼拝堂がある。

 このあと西へ向かって海岸線を走る。断崖絶壁の連続でスリルのあるドライブである。道脇の崖から落差の大きい無名の滝がたくさん落ちている。地獄の渓谷と言われる谷を通る。ここには新しい道とトンネルが造られているが、以前は崖際の1車線の道路しかなくすれ違うのが大変であった。


地獄の峡谷の橋(拡大)

 地獄の峡谷を過ぎると雨が降ってきた。マデイラ島は小さな島であるが場所による天候の変化が激しい。

 12時30分最北端に近いポルト・モニスに到着し海辺にあるCACHAROTEというレストランで昼食をとる。CACHAROTEとは鯨という意味で昔はこのあたりに鯨がいたという。昼食のメニューはメロンと生ハム、マグロのステーキとポテトと野菜、プリンとアイスクリームであった。


レストラン
 
サラダ               マグロのステーキ

 レストランの手前には溶岩でできた自然のプールがあった。このあたりは大きな波が押し寄せ岩に当たって10mもある大きな波しぶきを上げていて凄い迫力だ。

 
自然のプール(拡大)          波しぶき

 食後来た道を引き返す。途中ウインドウズ・ロックという穴の開いた岩が見えた。サン・ヴィセンテからさらに海岸線に沿って東へ進む。


ウインドウズ・ロック(拡大)

 サンタナという海辺の崖の上の村で休憩をとる。ここにはとんがり屋根の茅葺きの家が建っていた。この家はこの地方の伝統的な家で夏涼しく冬暖かいという。ドアや窓の周りは赤、青、緑などの色で塗られている。これは強い色が悪霊から守ると信じられていたからだという。屋根裏は穀物倉庫になっていて、キッチンは家の外に置かれている。 


藁葺きの家(拡大)

 近くでは農民が畑を耕していた。彼らも形は違うが茅葺きの家に住んでいた。藁葺きの家は貧しい人が住むというが彼らの家も周りの家に比べてかなり粗末である。若い人たちは収入の少ない農業を嫌ってフンシャルに出てしまうという。


農民と藁葺きの家

 そばに展望台があったが雨のため霞んで眺めはイマイチであった。


展望台からの眺め(拡大)

 この後も引き続き海岸線に沿って走る。道路脇にはミモザの花がたくさん咲いていた。 


ミモザの花

 フェイアルという農村を通り過ぎる。その先には鷲の岩が見え、さらに先にはマデイラ島最東端のサン・ロレンソ岬がガスの中にうっすらと見える。サン・ロレンソはマデイラ島の発見者ザルコが乗っていた帆船の名にちなんで名付けられた。


フェイアル村と鷲の岩(拡大)

 このあたりは土地が肥沃でジャガイモは年に4回も獲れるという。小さな畑にいろいろの作物を植えている。マデイラ島にはルバーダシュという灌漑システムがあり水路の総計は2150kmもあるそうだ。以前はプライベートな施設だったが、今は政府が管理していて年に1回金を納めると15日ごとに2時間から5時間水をもらえるという。

 このあと島の東部を縦断し、マチコという町に出る。マチコは1419年に島の発見者ジュアン・ゴンサルヴェス・ザルコがポルト・サント島からサン・ロレンソ岬を回って最初に来た場所でマデイラ島の最初の首都であった。

 マチコを通り過ぎるとすぐマデイラ空港の滑走路があった。滑走路を広げたため端のほうは道路を跨いでいる。このあとフンシャルのキンタ・ド・ソルに戻り夕食まで休憩する。

 夕食はCHURRASCARIA MONTHANHAという今朝行った展望台の近くのレストランでとる。メニューは野菜スープ、ローストチキンとミリョフリトというトウモロコシの粉のフライ、フルーツサラダだった。同行のNさんからマデイラワインが差し入れられた。マデイラワインもアルコール強化ワインで最低3年樽で保存し、ビンテージワインは20年、中には30年から40年も保存されたものもある。一口飲んでみると紹興酒のような香りと味であった。

 
野菜スープ                ローストチキンとミリョフリト

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