貴州省旅行記

5日目 郎徳訪問後榕江へ

 朝早く目が覚めたが窓の外が暗いのでうとうとしていると、突然添乗員の小川さんから「もう皆さん食事をしていますよ」と電話があった。7時にモーニングコールがあるはずだがと言うと寝坊してしまったのだという。急いでスーツケースをパッキングしてドアの外に出し、食堂に駆けつける。幸い出発が8時半だったので事なきを得たが、懐炉を貼り付けるのを忘れてしまった。

 今日はまず郎徳という人口300人ほどのミャオ族の村を訪問する。この村は10年ほど前から村興しの事業として観光客にミャオ族の歓迎の行事を行っている。ホテルを出て15分も走ると舗装がなくなり、車は川に沿ってがたがた揺れながら走る。周りの山には松が多い。この辺りでは住宅も燃料もすべて松だという。

 野菜を担いで歩いている女性がいた。これから凱里の市場まで行くのだというが、歩いたらたっぷり2時間はかかるだろう。重い荷物を担いで苦労して売りに行き、全部売れたとしてもたいした金にならない。同じ人間として生まれながら、生まれた場所が農村であったためこのような苦労をしなければならない、世の中とは不公平なものだ。

 9時30分郎徳村に到着した。村は川に面した高台にあり、川には屋根のついた橋がかかっている。トン族の風雨橋とは異なり屋根は普通の平屋根である。村の入り口に村長が待っていて、バスが到着するとハンドマイクで村に連絡する。やがて、村の入り口から晴れ着を来た娘さんたちが出てきて、歓迎のお酒の用意をし、黒い服をまとい蘆笙を持った男たちが門の脇に1列に並んで蘆笙の演奏を始める。村に入るには坂の途中に待ち受けた村人から歓迎のお酒を合計12回飲まなければならない。このとき手を使うとたくさん飲みたいという意思表示になるので、手を使わずに飲まなければならない。最後は水牛の角の杯から飲んで村に入る。

 
屋根つきの橋        歓迎のお酒

村の入り口(拡大)

 村には石畳の広場があり、中央には刀の刃を上に向けて差したはしごが立っている。刀のはしごを上る芸を見せるために立てたものだが、今回は見ることができなかった。 まず、晴れ着を着た娘さんたちの踊りが始まった。お酒を誘う踊りだという。この地域は晴れる日が少ないせいか娘さんたちは皆色白で、きれいな肌をしている。秋田美人なみだ。


娘さんたちの踊り(拡大)
 
娘さんたちの踊り         蘆笙を吹く娘さん

 次に、黒い服で短いスカートをはいた主婦たちの踊りになった。皆引き締まった脚をしている。毎日体を動かしているからダイエットなどしなくても自然に引き締まった体になるのだろう。娘さんと主婦たちの踊りが全部で7回繰り返され最後は踊りに加わった人たち全員が輪になって行進してフィナーレとなった。

 
 主婦たちの踊り
  
見物するおばあさんと子供              フィナーレ            

 踊りが終わるとお土産品の販売が始まったが、村の奥に入る。女たちが少しでも現金を得ようと商売に夢中になっているとき、男たちはのんびり賭け事をしている。若い男の姿が見えないのは出稼ぎに出ているためのようだ。民家は斜面に建っているので隣の家に行くのにも3、4階分くらい石段を登らなければならない。我々が考えると大変だが、生まれたときから、こういう所に暮らしていると坂などなんとも思わなくなるのかもしれない。

 
斜面に建つミャオ族の家

 11時20分に出発、しばらく走ると花嫁さんの行列が見えたので車を停めてもらい見物する。先頭に身の回りのものや寝具を担いだ人たちが歩き、その後ろに晴れ着を着た女性が続き、真ん中に両側に2人の女性に付き添われて花嫁さんが歩いている。会場につくと花火や爆竹が鳴らされ、披露宴が始まる。花嫁さんの衣装は、棉の種をまき、実をつんで糸につむぎ、布を織って染色して服を縫い、刺繍をするまでを全部花嫁さん自身がするのだという。昼間は野良仕事で忙しく、夜に衣装作りをしなければならないので、1年かかると言うが、結婚の準備も大変だ。結婚式は1週間から2週間も続けるということである。 

 
花嫁さん(拡大)            アヒルを担ぐ人

 12時5分丹江河のほとりにある山丹美食苑で昼食をとる。烏骨鶏が入った鍋物がおいしかった。食後、周りを散歩する。中国の川といえば濁った水を連想するが丹江川は澄んでいて、川辺で洗濯をしている姿が見られた。

 
丹江河            叩き洗いをする女性

 13時10分発、三江へ向かって進む。25分ほどすると山道になり、雷公山の中腹を登っていく。道の両側には畑が続く。このような畑で収穫するには下の村から肥料などを担いで1時間も2時間も歩いて来なければならず、作物も担いで降ろさなければならない。農家の苦労がしのばれる。やがて1500mの峠を通過する。このあたりにも人家がある。毎日さぞ不便なことであろう。

 このあと谷川を右手に見ながら坂を下り、15時45分永楽村を通過する。村の手前で道がぬかるんでいてスタックするのでないかと心配したが無事通過できた。永楽村はトン族の村でこのあたりからミャオ族に代わってトン族が多くなる。トン族は中国に250万人いて、半数は貴州に住んでいるという。ミャオ族は山の斜面など高いところに住むのに対し、トン族は川べりの低地に住む。中国語に4声があることは知られているが、ミャオ語には8声あり、トン語には9声もある。トン語には2つの方言があり、互いに通じないという。

 
泥んこ道          永楽村

 17時50分榕江村に到着、榕江賓館に落ち着く。榕江村は昔は古州鎮と呼ばれ海から運んできた塩を山へ運び、山で採った木材を船で運び出す中継基地であった。当時は塩1kgが米100kgの価値があったという。ここは標高が400mなので凱里よりも暖かい。しかし、喉や鼻の奥が痛くなってきた。郎徳村で座って踊りを見ているとき寒かったが、懐炉を貼り忘れたことが今ごろ出てきた。7時からホテルのレストランで夕食をとる。豚肉と魚のナレズシが出ておいしかった。

 昨日のマッサージが良かったので、今日もしてもらおうと5階のマッサージ室に行くと客待ちしている女性の服装や化粧が派手である。引き返そうとしたが郭さんが大丈夫ですと言うので部屋に来てもらったが、案の定30分でマッサージを切り上げてしまい、しきりに中国語で話し掛ける。副業の方を誘っているとわかったが相手にしないでいると、こんどは終わったから金を払えと言う。1時間で100元の約束で代金は後で郭さんに払うことになっているので5階まで行って事情を話し、郭さんに50元を払うことで決着した。中国ではこういうことが多いので気をつけなければならない。夜寝ていてやけに冷えるなと思ったら、カーテンの陰の窓が開いていた。急いで閉めたたが、なかなか温かくならず、風邪が悪化してしまった。

 
榕江賓館          ナレズシ

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