シルクロード旅行記
9日目 莫高窟観光
朝食前にホテルの周りを散歩する。ホテルの前の通りを5分ほど歩くとロータリーがあり、中央に背中で琵琶を弾く女性の像が立っていた。莫高窟の石窟の壁画にある反弾琵琶の図を彫刻にしたもので敦煌のシンボルになっている。何人もの演奏家が背中で琵琶を弾こうとしたが誰もできなかったという。
反弾琵琶
9時にホテルを出発、莫高窟に向かう。莫高窟は北涼時代の366年に楽傳という僧が西へ教えを求めに行く途中サンキ山の頂が金色に浮かび上がり聖地と思って石窟を掘ろうとしたが、岩が固くて掘れないので近くにある砂岩の鳴砂山の断崖に石窟を造り、続いて法良禅師もそばに石窟を造った。以後元の時代まで多数の石窟が掘られ、現在735の石窟が残っている。中の塑像は2400体、壁画の総面積は45,000平方メートルある。
25分ほどで莫高窟に到着、バスを降りると絶壁に多数の洞穴が開いているのが見える。莫高窟の僧たちの生活用の石窟で内部には塑像や壁画は残っていない。山の上には烽火台が見える。
川に沿って5分ほど歩くと莫高窟のシンボルになっている九層楼の前に出た。九層楼は当初三層だったが屋根が壊れたので1929年に地元の人たちによって建て直された。
カメラやバッグは持ち込めないのでスルーガイドの殷さんに預けて入場する。中に入ると敦煌研究院の孫先生が待っていて我々を案内してくれた。孫先生は日本に留学したことのある中年の女性で、上手な日本語でゆっくり説明してくれるので大変わかりやすい。
まず96号窟を訪れる。ここには則天武后の命で695年に造られた弥勒菩薩の大仏がある。高さが35.5mあり、敦煌最大の塑像である。胸や衣の裾に蓮の花などの絵が見られるが、1928年から1935年にかけて描かれたものである。入り口の床の脇にレンガの層があるが、1999年に地面を1m掘り下げたときに見つかったもので唐、西夏、元、清の時代のレンガ敷きの床が残っている。
次に102号窟に入る。ここには盛唐時代に康定の命で造られた弥勒菩薩の大仏がある。像の高さは26mで敦煌で2番目に大きい塑像である。ほとんどの部分が当時のままであるが原と手が壊されたので修復されているが技術のレベルが低く修復しない方が良かったくらいである。顔の表情は優しく口や鼻や目は赤ちゃんのようである。左右の壁には鷹さ13mの菩薩の壁画がある。絵具に鉛が入っているので白い色が黒に変わっている。天井には敦煌で1番大きい飛天の絵が描かれている。
次に148号窟に入る。ここには757年に豪族によって造られた長さ15mの涅槃仏があるが、清の時代に修復されているので芸術的な価値は落ちている。後ろには72人の弟子の像がある。天井はアーチになっていて棺を表している。天井には天女や千体仏が描かれている。入り口の小部屋には東大寺の金剛力士と良く似た金剛力士の像がある。
次に158号窟に入る。ここには中唐時代に造られた長さ15m弱の涅槃仏がある。造られた当時のままで芸術的なレベルが高く、世界一の涅槃仏と言われている。顔は子供の顔で穏やかな表情をしている。左側の壁には悲しそうな顔をしている菩薩や十大弟子の姿が描かれ、右側の壁には各民族の代表が悲しんで鼻や耳を切ったり胸をさして死のうとしている姿が描かれている。現在の少数民族の衣装と当時の民族衣装が変わってないことが注目され各民族の歴史を研究する資料として貴重である。天井は長方形でここも棺の形をしている。
次に172号窟に入る。ここには盛唐時代の感無量寿経変の壁画と清の時代の塑像がある。壁画には無料寿仏を取り巻いて説法を聞く菩薩たちの場面や太鼓、増え、琵琶、ハープなどの楽器が空に飛んで音楽を奏でている場面が描かれている。反弾琵琶の絵があると言われたが指差されてもわからなかった。
237号窟は晩唐に造られた石窟で画はすべてオリジナルであるが、塑像は清の時代のものである。壁にははっきりとわかる反弾琵琶の図があり、天井の中央には3匹の兎が丸く回転している図がある。耳が3つしかかかれてないが不自然に感じない。塑像は普賢菩薩、観音菩薩、文殊菩薩
244号窟は隋の時代に造られたせっくるで芸術的なレベルが高く、内容が豊富である。中央には釈迦仏と2大弟子、2人の脇侍、左手には過去仏と2人の脇侍、右手には菩薩型の未来仏と脇侍の像がある。絵具に鉛を使ってないので顔は真っ白である。壁の上部にはたくさんの飛天がかかれているが変色して真っ黒になっている。天井には千体仏が描かれている。
249号窟は西魏時代の石窟で壁画や塑像は色鮮やかに保存されている。天井には海底に建つ阿修羅が描かれている。脚が長く、腰には2頭のりゅうが巻きついている。目と手が4つずつあり、上側の手で太陽と月を支えている。両側には風神と竜神が描かれている。壁には狼、トラ、羊、猪、駱駝、鹿などの動物や狩人が描かれている。人の顔をした人非人という鳥や玄武の画もあった。
257号窟は北魏の時代に造られた中心柱様式の石窟で一部破壊されているが他の部分は当時のまま残されている。壁には釈迦の前世物語が描かれている。
以上で午前中の観光は終わりホテルに戻って昼食をとった後再度孫先生の案内で莫高窟を見学する。
まず320号窟に行く。この石窟は盛唐時代に造られ、中央には弥勒菩薩、左には観音菩薩、右には勢至菩薩と迦葉の像がある。左には阿南の像があったが失われた。左の壁には花を撒いている4人の飛天が描かれているが、この飛天の像がいちばん有名で飛天のシンボルになっている。天井の絵は素晴らしく描いたばかりのように見える。
次に328号窟に入る。ここには初唐の時代の仏像と壁画が残っている。仏像の芸術的なレベルは高く公開されている塑像としては最も素晴らしい像である。中央には釈迦と2大弟子、左には普賢菩薩、右には文殊菩薩が祭られ周囲には釈迦の説法を聞く菩薩たちの像が置かれている。菩薩たちの芸術レベルも高いが1体は米人に盗まれハーバード大学に保管されている。周囲には西夏時代の壁画が残っている。
次に16号窟と17号窟を見学する。これらは晩唐に造られた石窟で16窟から5万点におよぶ古文書が発見されて莫高窟の名が世界に知られるようになった。16窟は洪という河西回廊で最も偉い高僧が造ってもらった石窟で17窟は記念と宣伝のために造った。16窟には洪ベンの像があるが洪ベンの存中に本人を見て造ったので本人そっくりと言われている。鑑真和上像はこれを真似て造ったといわれよく似ている。壁には洪ベンが使った道具などが描いてある。
428号窟は北周に作られ壁画はすべてオリジナルで、飢えた虎を助けるために身を捧げた釈迦の前世のサダ太子の物語が描いてある。この画は法隆寺の玉厨子にも細かく描かれている。この石窟は1200人の尼僧の寄進によって造られ壁には尼僧の画がかかれ一部には名前が書かれている。
次に特別窟の285号窟に入る。この石窟は西魏時代に造られ左側の壁の隅に539年に造られたという年号が入っている。これは一番古い銘文だという。すべてオリジナルで中央に丸い台座があるがここに歓喜仏があったという。
次にこれも特別窟の57号窟に入る。この石窟h初唐時代に造られ壁画はオリジナルであるが、塑像は清の時代に塗りなおされている。中央には阿弥陀如来、左右には阿南と迦葉、観音菩薩の像がある。観音菩薩や阿南の壁画は線が細く、模様が細かく描かれていて芸術的にレベルが高く有名である。壁画には金泥が使われている。
最後に50元払って45号窟に入る。中央には阿弥陀如来の像が祀られその左には阿南、右には迦葉の像が置かれている。阿南の顔は美しく塑像の美男子と言われている。迦葉の体は痩せあばら骨が浮き出ていて苦労一番と言われた姿を表している。頭や髭は剃ったばかりで苦行が終わったばかりのことを表している。足下に夜叉を踏みつけT2体の天王の像があるが1200年前の軍人の姿を表している。この像は東大寺の天王の像と良く似ている。壁には観音菩薩に助けを求めて神通力で救われた物語がたくさん描いてある。
以上で莫高窟の見学は終わり、外に出て最近できた陳列漢に入る。ここは2階建てで1階には各時代のレンガの敷石や壁画の模写図、220号窟、419号窟、285号窟、275号窟のレプリカが展示されている。また2階にはチベット仏教の仏像が陳列されている。これらは文化大革命のときに毛沢東のバッジを作るためポタラ宮から持ち出されたもので、鋳潰されるところを敦煌研究院が引き取ったもので、大部分はポタラ宮に戻されたが良いものは残して展示しているのである。
最後に敦煌研究院のショップによった。尊先生に奨められて最近出版された敦煌の写真集を250元で買った。博物館の職員は説明もうまいが商売もうまい。
夕食後ホテルの劇場で民族舞踊を見た。昔の中国の衣装や、いろいろな少数民族の衣装を着た踊りが行われ大変きれいだった。1時間ほどのショーで50元(650円)だから割安だった。