シルクロード旅行記

7日目 酒泉から敦煌へ

 今日から33人乗りのバスに乗ることなり、女性ガイドの趙さんが案内してくれることになった。大勢の従業員の見送りを受けて8時45分ホテルを出発する。泊り客の見送りは日本の温泉旅館などでは良くあることが中国では初めての経験だ。


見送りの従業員

 30分ほどすると右手に嘉峪関が見えてきた。嘉峪関は明の時代に造られた関所でここが長城の最西端になっている。前回来たときは入場して観光したが、今回は遠くから眺めるだけで素通りだ。


嘉峪関

 左手に雪をかぶった祁連山脈の山々を見ながら走る。祁連山脈は全長1200kmあり、最高峰は5,547mある。右手には蘭州と新疆を結ぶ蘭新鉄道の線路が走っている。 


蘭新鉄道

 11時玉門鎮のガソリンスタンドでトイレを借りる。ここのトイレは中国の公衆トイレには珍しくきれいで4星ホテルのトイレ並みである。トイレを借りる観光バスが多いのでトイレの前に果物の店が出ていた。洋梨に似た梨が1個0.5元(7円)と非常に安い。添乗員の斎藤さんがいくつか買ってバスの中で分けてくれたが、味は普通の梨であった。

 
トイレの洗面所         果物屋

 玉門鎮は四方を山に囲まれているので空気が悪い。中国も近頃は公害に関心が高まってきているが、地方都市ではまだ真っ黒な煙を平気で出している。


セメント工場の煙

 12時50分安西市に到着、安西賓館のレストランで昼食をとる。今回の旅はどこのレストランでも出された料理の半分以上が余ってしまい実にもったいない。

 
安西賓館                メニュー

 13時40分出発、市街地を抜けると小麦や綿花の畑が広がり、綿摘みをしている人の姿がよく見かけられる。この付近の農家は以前は現金収入の道がなかったが棉の栽培で年間4000元(52,000円)程度得られるようになった。


棉摘み

 50分ほどして小さな町を通り過ぎると道路工事で先に進めないので迂回路を通ることになった。迂回路と言っても農道で荒地の中にタイヤの跡があるだけである。


迂回路

 途中の曲がり角に小さな橋があった。道幅が狭いので渡れないかと心配したがさすがプロのドライバー見事に渡りきる。朝出発するときに33人乗りの中型バスかと不満の声が出たが、大型バスだったらとても渡れなかった。橋の周りにはタマリスクが真っ赤に紅葉していた。

 
小さな橋            タマリスク

 15時30分楡林河渓谷に到着した。楡林河は祁連山脈から流れてきた河で、渓谷の絶壁に楡林窟がある。バスを降りて谷底まで50mほど階段を下る。


楡林河渓谷

 楡林窟には唐、五代、宋、西夏、元、清の時代に掘られた石窟が41あり、東岸に30窟、西岸に11窟ある。現在敦煌研究院が管理していて東岸のいくつかの石窟を観光できる。入場料は一般窟は全部合わせて45元であるが、特別窟の3窟は150元(2000円)、4窟は110元(1450円)、25窟は250元(3300円)と非常に高い。特別窟の入場料が高いのは楡林窟の保護のための資金が必要なことと、あまり特別窟に人を入れたくないことのためのようである。

  
東岸の石窟             西岸の石窟

 まず、12号窟に入る。ここには五代の時代に造られた十菩薩と十弟子の塑像と唐の時代に描かれた壁画があった。先月新疆のいくつかの石窟で痛ましいほど傷つけられた塑像や壁画を見たばかりだけに素晴らしい塑像や壁画が残っていることに感激した。

 次いで13号窟に入る。前室を通り奥に入ると8m四方くらいの大きな部屋があり正面に釈迦と2大弟子の像が祀られていた。天井には釈迦の説法図や蓮の花などが描かれていた。

 15号窟は唐の時代に造られ、宋の時代に修復されている。中央には釈迦と2大弟子、その前方左右には文殊菩薩と普賢菩薩、その前には手を合わせている供養菩薩の像がある。壁画は宋の時代のもので菩薩が描かれているが手の形が素晴らしい。天井には宋の時代に描かれたでんでん太鼓や体をを持った飛天の画がある。前室の天井には唐の時代に描かれた飛天の像がある。唐の時代は肥っている女性が美人とされていたので飛天も肥っている。楊貴妃h80kgもあったという説もある。壁には四天王が描かれている。

 16号窟の入り口には供養者の夫婦の像が向かい合っている。奥さんはウイグル人で桃の形をした髪型をしていて貴婦人が着る着物を身につけている。前室の天井には飛天や四仏が描かれている。

 17号窟は初唐時代に造られ中心柱造りになっている。柱の正面には釈迦、左側には未来仏、背面には僧侶、右側には過去仏が彫られている。入り口の像は1907年にスタインによって盗まれている。

 6号窟には唐の時代に造られた高さ24.7mの弥勒菩薩があり、清の時代に修復されている。この像は下の部屋から葦の部分を眺めることができる。

 25号窟は中唐時代に造られ,清の時代に修復された。天井の壁画はほとんど落ちてしまっている。右側の壁には踊りや楽器を弾いている壁画がある。画の質は高い。左側の壁には未来の弥勒世界が描かれている。

 4号窟は元の時代に造られ清の時代に修復された。五仏の立体マンダラがある。壁には元の時代のマンダラの壁画が残っている。

 3号窟は西夏時代に造られた。部屋の中央には釈迦と4人の菩薩が台に乗っていて周りを8人の金剛力士が守っている。左右の壁には2つずつ天井には1つチベット風の大きなマンダラが描かれている。入り口側の壁には文殊変、普賢変のほか玄奘三蔵が馬に乗ってインドから帰ってくる図が山水画風に描かれている。

 2号窟は西夏時代に造られ、水月観音図と玄奘三蔵の求法の図が描かれている。

 以上で観光を終えて17時45分に楡林窟を出発、来た道を引き返す。もう日が沈みかけていて先ほど通った橋を無事渡れるか心配だったが、タイヤの後がたくさん残っている道を進んだら橋を渡らずに済んだ。来たときは道を間違えていたのだ。

 途中の三叉路を左に曲がり20時15分敦煌賓館に到着した。4星のホテルであるが、本館の南館は日中友好協会の170人が泊まるので、我々は古い北館に回されてしまった。4干しといってもエレベーターはなく、客室は狭くて家具が質素で3星並みであった。

 
敦煌賓館南館            北館

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