シルクロード旅行記
5日目 カラホト(黒水城)観光
今日は今回の旅行のメインイベントのカラホト(黒水城)の観光である。8時10分ホテルを出発、ゴビ砂漠の中の砂利道を砂煙りを上げて走る。
砂利道
15分ほど走ると湖の脇で前の車が停まったので景色が良いから停まったのだろうと思って外に出て写真を撮る。
人造湖
しかしいつまでたっても前の車が出発しないので前方に歩いていくと道路が水で洗われていて凄い水音を立てている。ここは道路がダムの放水路を兼ねていて、普段は水量が少ないので邯鄲に渡れる。しかし今日は特別に水量が多く1号車の後に渡ったジープが流されそうになったので2号車が渡るのを見合わせているのだ。しばらく様子を見ていたが水の勢いは治まらないので1号車に引き返してもらい別のコースを通ることになった。
放水路 引き返す1号車
途中甲梁候官という2000年前の漢の時代に造られた要塞に立ち寄る。当時この中に官吏が住んでいて外に軍人が住んでいた。日干し煉瓦造りのため風化が激しいが部屋の壁の跡などが残っていた。
甲梁候官
この後渡る予定の別のダムサイトに着いたら水門の上の道が狭くて車が通れない。一時はカラホトを見られなくなるのかと心配したが、あれこれ検討した結果私達は歩いて水門を渡り車だけ引き返して先ほどの放水路を渡って対岸で落ち合うことになった。
水門
結論が出るまで水門の周囲を散策した。胡楊樹やタマリスクの群落があってなかなか良い景色である。
胡楊樹 タマリスク
水門を渡りさらに5分ほど歩くと第2の水門があった。ここからは凄い勢いで水が流れている。これではさきほどの方水路の水量が多くなるわけだ。
第2の水門
水門を過ぎた後は砂の上を歩く。靴が砂に沈み込みなかなか歩きにくい。対岸の胡楊樹の下に駱駝がたたずんでいてなかなか良い景色だ。
湖畔の道 胡楊樹と駱駝(拡大)
12時35分4WD車と落ち合って出発、20分ほどでカラホトの前に出た。カラホトとは黒い城という意味のモンゴル語で中国語では黒城と呼ばれている。カラホトは9世紀に西夏王国によって造られた城で、元の時代に拡張されて今の大きさになった。しかし、明の時代に川の流れが変わり水が得られなくなって放棄された。東西421m、南北537m、面積154,000平方メートルで、城壁の高さは9.2mである。門は東と西にある。城壁の外には元の時代に造られたモスクがある。
城壁(拡大) モスク
馬門と呼ばれる西門から中に入る。
馬門
城内の中央付近に西夏時代に造られたチベット仏教の仏塔の跡があった。地面には陶器の破片がたくさん散らかっており、入り口には破片を持ち出すと50元の罰金をとると注意がしてあった。
仏塔跡 陶器の破片
城内の東南部に西夏時代の城壁と南門の跡がある。元の時代の城壁の中の4分の1くらいの広さで、西夏の軍隊はここで元の軍隊に皆殺しにされた。
西夏の南門跡 住宅跡
城壁の北西の隅には大小5つの仏塔がある。仏塔の下からは西夏時代の遺物が1万点も発見されたが、良いものはロシアやイギリスに持ち去られてしまった。
仏塔(拡大)
仏塔の脇まで登って城内を眺める。足元の地面に掘られた跡があるが、元の軍が明の軍に水攻めにあったときに掘った井戸の跡で30mの深さまで井戸を掘ったが水が出ず、黒将軍は娘を殺して、金銀財宝とともにこの穴に投げ入れて北側の城壁に穴をあけて1万人の兵とともに脱出したという。城壁には砂が積もって砂丘の斜面のようになっている。
黒水城の入り口近くにあるパオの食堂に場所を借りてお弁当を食べる。中国のカップラーメンがついていたが、日本のカップラーメンの2倍くらいの量があるうえ非常に辛く食べきるのが大変だった。饅頭は大きすぎて余ってしまったので山羊にやったら喜んで食べた。
パオの食堂 お弁当
食後黒水城の近くにある大同城跡を訪れる。大同城は北周時代(561〜565年)に造られた軍の駐屯地で、唐の時代の743年に修復さているた。城壁は3mの厚さがあり、直径10cmくらいの多数の穴が開いているが、細くて長いので矢を射ることはもちろん外を見張ることもできず、なんのために開けてあるのかわからない。
大同城跡
次にニ塔を訪れる。ここはチベット仏教の学校のあった場所で、塔が2つ残っていたが、2年前に1つが崩壊してしまった。塔のてっぺんから木の棒が突き出だしているが1本の木を柱にして塔を造っていることがわかる。
ニ塔
次に五塔に行く。ここは大きな寺の跡で西夏の盛んな時期に造られた。塔は2つだけしか残っていない。
五塔
次に一塔に行く。この塔は高さ6mあり西夏後期に造られた。当時ここは町の中心部だったという。
一塔
最後に紅城を見る。この城はBC102年漢の武帝の時代に建設された防衛のための城で、2000年前の日干しレンガが形を保ったまま残っている。
紅城 レンガ
遺跡の観光の後、怪樹林を訪れる。ここには居延海という湖があったが明の時代に砂漠になり、枯れた胡楊樹の林が無気味な姿をさらしている。
怪樹林(拡大)
このあとさきほど4WD車と落ち合った場所に引き返して下車し再び歩いて水門を渡り法水路を通ってくる4WD車を待つ。20分ほど待つと1号車から3号車がやってきたが4号車と5号車はいつまで待っても来ない。30分ほど待った後3台の車に分乗して引き返すと4号車が故障して修理をしている。故障が簡単になおりそうにないので4号車を残して4台の車に分乗して出発し18時35分ようやくホテルに到着した。
夕食はパオのレストランに出かけモンゴル料理を食べる。食事の途中民族舞踊の踊り子たちがやってきて酒歌を歌いながら歓迎の白酒をふるまった。酒を飲む前に酒に指を入れ上下と横の方に弾いて天と地と人に感謝する。
パオのレストラン 歓迎の酒
食事が終わるとモンゴルの民族舞踊が始まった。手や腕をしなやかに曲げる独特の踊りだ。踊り子たちは若いがなかなか上手だった。
モンゴル舞踊
最後にモンゴルの歌が歌われた。黒水城を案内してくれた蒙古族の包さんも歌ったが、よく響く朗々たるプロ顔負けの声だった。10年間も歌の勉強をしていたのだという。