シルクロード旅行記
2日目 銀川観光
起きたとき窓から外を眺めると、冷たい風が吹く中交差点に大勢の人が立っていた。職のない人が仕事を求めて手配師を待っているのだ。
客室からの眺め
朝食はビュッフェ式だった。今度こそ肥らないで帰ってこようと思って家を出てきたのに最初から食べ過ぎてしまった。中国の料理はどれも油で炒めてあるので野菜でもカロリーは高い。
レストラン 朝食の一部
食後ホテルの周りを散歩する。近くに市場があり果物がたくさん並んでいた。銀川は雨が少なく乾燥しているので甘くておいしい果物の産地になっている。さらに歩くと南門があり、大勢の中年の女性が音楽に合わせてダンス体操をしていた。
市場 朝の南門
9時5分ホテルを出発、まず両替のため中国銀行による。銀行なので今では使い道のない1分札(13銭)までくれた。1953年の発行になっているから骨董品だ。
中国銀行 1分札
この後承天寺を訪れた。承天寺は西夏の皇室の寺で最盛期には800人の僧がいたが、元によって破壊された。境内にある承天寺塔は1055年に西夏2代目の皇帝によって建てられた。西塔とも呼ばれ11層のレンガ造りで高さは64.5mある。
承天寺の門 承天寺塔
境内にある寧夏回族自治区博物館を見学した。この博物館は3つの建物からなり、西夏時代の出土品、賀蘭山の岩画や拓本、回族の文化・歴史が展示されていた。
西夏時代の出土品の中には188kgあるという金メッキされた青銅器の牛の像、副葬品だったという馬の石像、西夏文字と漢字が刻まれた男と女の形の石碑の座、チベット風の青銅器の仏像などがあった。
賀蘭山岩画は1万年前から3000年前にかけて描かれ3000点以上発見されている。人や動物の姿、狩や生活の様子が彫られているが、なんのために彫ったのか目的はわかっていない。
受付に回族の娘さんがいた。漢族と同じ服装をしているので外見からは回族であることはわからないが朱さんの知り合いなので回族とわかった。
回族の娘さん
最後に承天寺塔に登った。階段が急なうえ狭くて登りづらく、下った後、腿が筋肉痛になってしまった。塔の上からは360度の展望が得られるが、周囲はビルばかりで眺めはあまり良くない。
塔からの眺め
次いで西夏王陵に向かった。将来の300万人の人口に備えているのか道路は片側4車線でその外側に緑地帯を隔てて自転車道がありさらにその外側に広い歩道がある。横断歩道や信号機がないので歩行者は道を横断するとき大変である。中国は立派な道路を造るが安全面に欠けている。
道路
賀蘭山の山並みが近づいてきたとき三叉路を左折し賀蘭山に沿って南に走る。荒地の上にたくさんの土饅頭が見える。漢族の墓だ。中国では土葬は禁じられているが、このあたりには火葬場がないので土葬が行われているのだ。墓は誰でも好きなところに勝手に作ってよいとのことである。
漢族の墓
45分ほどで公園の入り口に到着した。門の脇に西夏文字の碑があった。西夏文字は漢字とチベット文字を組み合わせた複雑な文字で現在半分くらい解読されているが発音はわかっていない。
西夏王陵公園入り口 西夏文字の碑
王陵に向かって広い石畳の道を500mほど歩いた後、電気自動車に乗り換える。ドライバーの娘さんがずいぶん若く見えるので年を聞くと19歳だという。ほかの娘さんたちも同じくらいの年で電気自動車も真新しいから今年電気自動車が導入されて高校の新卒者が採用されたのだろう。
石畳の道 電気自動車
初めに西夏王陵博物館を見学する。この博物館は1998年に造られ、チベット文字の書かれた舎利塔、鉄剣、鉄鍋、西夏文字の経典、漢字と西夏文字の刻まれた石碑、ガルーダや陶器などの王陵からの出土品、男や女が支える柱の礎石、王陵の模型、賀蘭山の岩画などが展示されている。博物館の屋上からはたくさんの王陵がうっすらと見える。この周辺には全部で9つの王陵があるという。
西夏王陵博物館 屋上からの眺め
博物館を見た後王陵の見学をする。王陵は左右対称で入り口から歩いて50mほど歩いた所の左右には月城と鵲台という高さ7mほどの凸型の2つの塔がある。これらの塔の表面は美しく飾られていたが今は内部の日干し煉瓦の部分しか残っていない。
月城 鵲台
さらに進むと平たい土の基段があり、その先に南門がある。南門から外側が外城、内側が内城になる。南門には直径40cmくらいの柱を差し込んだ穴の跡が残っている。その先には献殿という八角形の建物のレンガの台座や陸城という建物の跡が残っている。
基段 南門
南門の100mほど前方に高さ20mほどの日干し煉瓦の陵がある。これが李元昊の王陵の跡で、造られた時の高さは24mあったと推定されている。陵の前には長さ46m、斜度24度の墓道がついている。王陵の前には穴を掘った跡があるが元の軍隊が盗掘した跡で、近年発掘調査したときはなにも出てこなかった。
王陵
王陵の周囲は日干し煉瓦の城壁で囲まれているが、丸い塔を連ねたような造りになっている。
城壁
王陵を見学した後、公園の中にあるホテル大夏飯店のレストランで清真料理の昼食をとる。食事の前に八宝茶が出された。クコやナツメ、龍眼、胡麻など8つの薬用植物と氷砂糖が入っている。以前青蔵公路の清真食堂でも八宝茶が出されたことがあるが、このお茶は回族の健康茶になっている。
大夏飯店餐庁 八宝茶
レストランの周りにはアズマギクのような紫色の野菊がたくさん生えており、棚の木の葉はまっかに紅葉していた。
野菊 紅葉した葉
13時45分出発、来た道を引き返しバスに乗り込む。大きな石がごろごろ転がっている荒地の中を1時間弱走ると賀蘭山口に到着した。賀蘭山は寧夏回族自治区と内蒙古自治区の境にある長さ250kmの山脈で27の山が連なっている。平均高度は2500m、最高峰は3556mである。木は生えてなく、山肌はごろごろした岩で覆われている。
賀蘭山 賀蘭山口
バスを降りて遊歩道に入ると道端の岩にたくさんの岩画が見られた。さらに進むと渓谷に出て川の両側の岩にはたくさんの岩画が描かれている。数千年の風雨に耐えてきた岩画も、大気汚染の影響でここ10年で急激に消えかかってしまい関係者は保存に苦慮している。
渓谷
岩画には人間や動物の像などが多く、西夏文字や明の時代の文字も見られる。
岩画
岩画
15時25分賀蘭山を出発、10分ほど走ると賀蘭山の麓に2つの塔が見えた。これらの塔は西夏の初代の王李元昊が実子に殺された場所に建てられた塔で拝寺口双塔と呼ばれている。
拝寺口双塔
ホテルに戻る途中、トイレを借りるため観光クコ園に立ち寄る。ここではクコを自家栽培し観光客に販売している。
クコ畑
入り口に鮮やかな色をしたクコと暗い色をしたクコが並べられていた。鮮やかな色をしたしたクコは硫黄を使って色を変えているで有害だという。普段健康食品のつもりで口にしているクコは色が鮮やかなので、これが有害では何のために食べているのかわからない。
無処理のクコ 硫黄で処理したクコ
クコ園を出た後海宝塔に向かう。この塔は北塔とも呼ばれ、中国の16の名塔の1つである。五胡十六国時代に修復されたといわれるが、初めにいつ建てられたのか詳細はわからない。
海宝寺の門
横の小さな入り口から中に入ると天主殿の前に出た。天主殿には布袋様の姿をした弥勒菩薩、両側の壁の前には四天王が祀られ、弥勒菩薩の裏側には韋駄天が祀られている。このような仏像の祀り方は中国の寺では一般的である。
天主殿 弥勒菩薩 韋駄天
天主殿の前には左右に鼓楼と鐘楼がある。かってはこの太鼓と鐘で町中に時刻を知らせていた。
鼓楼 鐘楼
奥にある大雄宝殿には薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来が祀られ、釈迦の左右には阿南と迦葉の2大弟子が配されている。左右の壁には16羅漢の像が祀られ、裏側には観音菩薩が祀られている。
大雄宝殿
最後に臥仏殿を訪れる。ここには釈迦の涅槃像があるが、オリジナルの像は文化大革命の際に破壊され1980年代に修復された。
臥仏殿
最後に海宝塔に登る。この塔は11層で高さ53.9mあるが下部は寺院になっているうえ内部が広いので登るのは承天寺塔よりずっと楽である。塔の上からは360度の展望が得られ遠くには賀蘭山や黄河を見ることができる。
海宝塔 塔からの眺め
ホテルに戻る前に金府という清真料理のレストランで夕食をとる。[火考]羊腿(カオヤントン)という北京ダックのマトンバージョンが出ておいしかった。
金府
レストランは玉皇閣という明の時代の建物の前にあり、玉皇閣の前には銀川が中国の中心になっていることを示す大理石の地図が置かれていた。
玉皇閣 地図
食後レストランの前に出るとあたりは暗くなっており玉皇閣がライトアップされている。歩いて玉皇閣の周りを1周してからホテルに引き揚げる。
夜の玉皇閣
客室で一休みした後ホテルの周囲を散策する。南門の前に出ると大勢の人が音楽に合わせてダンスをしていた。中国人はダンス好きだ。このあと先ほどの玉皇閣まで歩いていく。人通りが多く1人出歩いていても心配ない。途中で公衆トイレに寄ったら1角(1.3円)とられた。わずかな金でも持っていないとトイレに入れないから中国を歩くときはいつも小銭を盛っている必要がある。