シルクロード旅行記

14日目 天水から宝鶏へ

 今日は郊外の麦積山石窟を観光した後宝鶏へ移動する。朝食前にホテルの前に出ると従業員が兵士の指導で護身術の訓練をしていた。受付けの可愛い娘さんが掛け声を上げて一生懸命に練習していたが全然迫力がない。人民広場に行くと音楽に合わせてダンス体操をする女性たちのグループが何組も見られた。中国も食糧事情が良くなったので体操をしないとスタイルを保てないのだろう。

 
護身術の訓練            ダンス体操をする女性

 人民広場の近くに清真寺(モスク)があった。門も礼拝所も仏教の寺と同じだ。仏教の寺がモスクに変わったのかもしれない。 

 
清真寺の門            清真寺

 8時にホテルを出発、麦積山石窟に向かう。麦積山石窟は後秦(384〜417)の時代の創建と言われ、元々は1つの石窟群だったが、唐の時代の地震で東西に分かれた。現在東側に54窟、西側に140窟の石窟が残っている。敦煌の莫高窟、山西省大同の雲崗石窟、河南省洛陽の龍門石窟とともに中国4大石窟の1つになっている。麦積山の名は山の形が麦打ち場に積んだ藁の塚のように見えることから名付けられた。

 途中の道は山の斜面を削って造ってあるので土砂崩れの危険性が高い。斜面の急なところでは防壁工事をしていたが、機械を使わずバケツリレー式に下から順に石を運んでいた。機械を用いて効率を上げるよりも働く場を提供する方が大事なのだろう。


工事の人たち

 9時30分麦積山石窟の前に到着した。目の前には東側の絶壁が聳びえたくさんの石窟と、石窟を巡る通路や階段が見える。


麦積山石窟東面(拡大)

 先ず東側の石窟から観光する。最初に44号窟の塑像を見る。この塑像は西魏の時代に作られた仏の像で西魏の王の妃がモデルと言われている。美しい顔で女性の優しさを表現している。
 右隣にある43号窟は西魏の王の妃の塚で、東魏との戦いに悩む王は隣国の柔然国の侵入を避けるため最愛の妃を出家させて柔然国の王女を妻に迎えたが、柔然国は進入を止めない。そこで柔然国の王女に進入を止めさせるように頼むと出家した妃を殺さなければ侵入は止めさせられないと言われ已む無く殺したという。

 次に37号窟を見る。ここにある塑像は隋の時代に造られた祈祷菩薩の像で頭が大きく体が細くてバランスが悪い。顔は元々は肌色だったが絵具に鉛が入っているため小豆色に変色している。

 次に大仏を見る。この大仏は隋の時代に造られ、中央は阿弥陀仏、左側は観音菩薩、右側は勢至菩薩である。阿弥陀仏の高さは15mある。これらの塑像は大まかな形を岩を削って造り、その上に土を塗って形を整えたもので、隆起している部分には岩にあけた穴に柱を差込その上に土を塗っている。顔には金箔の跡が残っている。 


大仏(拡大) 

 大仏の隣には9号窟がある。7つの仏像が並んでいて全部残っている。壁画は明と清の時代に書かれたものである。

 次に3号窟に行く。この石窟は北周の時代に造られ、297対の仏像が並んでいることから千仏廊と呼ばれる。顔は宋の時代に修復され、口が小さく柳の葉のような眉をしている。

 4号窟は北周の時代に造られ、荘の時代に修復されている。7つの仏閣があり全長は30m、高さは16mで、85体の塑像があり麦積山で最大規模の石窟である。石柱が8本立っていたが地震で崩れ2本しか残っていない。両端の仏閣には阿吽の大きな金剛力士像が立っている。左から2つ目の石窟の菩薩の顔は美しく今の中国の典型的な美人の顔である。服喪層の時代のシルクの質感が出ている。臍を出した体は正しいバランスをしている。


4号窟

 5号窟は隋と東の時代に造られている。天王が子牛の上に立っているので牛児堂と呼ばれている。牛がなくと大地震が起こり動くと地球が全滅すると言われている。この塑像を作る前は自信があったが、作ってからは地震がないという。左側には弥勒菩薩の像がある。唐の時代に造られ肥っている。王宮の侍女をモデルにして造ってあり髪の毛が長く訪韓が立派である。きている福には唐の時代のシルクの質感が出ている。額には瑠璃が嵌めこまれていたが抜き取られている。

 以上で東側の石窟の観光を終わり西側に移る。通路から下を見ると50m下まですとんと落ちていて少々怖い。しかし紅葉した葉や遠くの山の眺めが良く最も眺めの良い石窟と言われる訳がわかる。

 
絶壁からの眺め(拡大)           西面の石窟(拡大)

 133号窟は千仏が彫られた石碑があることから千仏堂と呼ばれている。またたくさんの石碑があることから碑洞とも呼ばれている。北魏時代に造られた碑にはS字形に体をくねらせた飛天が顔を向かい合わせていて衣は厚い。釈迦の一生や前世物語を刻んだ石碑は中国で唯一良く保存された石碑でレプリカは日本で公開されている。少年僧の像があり、口元や目元が可愛らしく、いつも怖い顔をしている朱鎔基前首相もこの像を見て思わず微笑んだという。

 147号窟は北魏晩期に造られた。塑像は細い顔をしていて体は痩せている。衣の色は当時のままである。日本の初期の仏像はこの像に似ているという。

 171号窟は北魏晩期に造られ宋の時代に修復されている。仏が説法しているそばで少年僧と菩薩が内緒話をしている像で、人間と仏の世界が知事待っている。少年僧の袈裟が風で翻っているのも素晴らしい。入り口の左右には金剛力士の像があるが、着ている服が珍しく袈裟の上に小さな鎧の板を紐で吊っている。

 87号窟は大仏の磨崖仏で右側の像は壊れている。目は陶器で造られ、額に嵌めてあった瑠璃は盗まれてしまっている。 

 
磨崖仏(拡大)

 165号窟は後秦に造られ宋の時代に修復されている。卵形の顔で目が釣りあがった宋の時代の美人の顔になっている。

 191号窟は西魏に造られた浅い石窟で仏はインド人の姿をしており、下をガルーダが支えている。


 以上で麦積山石窟の観光を終わり近くにある麦積山荘で昼食をとる。鯉の唐揚げが出たが中国の川魚料理には珍しくおいしく食べられた。

 
麦積山荘          鯉の唐揚げ

 近くには農家があり軒先に真っ赤なトウガラシの束を10個くらい吊るしてあった。日本人にはとても食べられる量ではないが辛いもの好きな中国人にはこのくらいの量が必要なのだ。

 
農家             トウガラシの束

 14時15分出発、国道310号線を走る。1時間ほどするとトラックの列が停まっていた。この先にある省境にかかる橋が壊れて渡れないのだという。情報を集めいろいろ対策を練った結果、天水まで戻り国道316号線を通って徽泉まで行き、ここから国道516号線を通って今日の目的地宝鶏に行くことになった。国道310線で行けば160kmの距離が320kmになってしまい大変な遠回りだ。


トラックの行列

 16時15分出発、ガソリンスタンドに寄って給油し徽泉へ向かう。やがて山道になり1時間ほどして八番山トンネルを通過する。高度計は1625mを指している。このあたりから土砂崩れがあちこちで起きていて道の半分が埋っている所もある。日が沈みかかってきていて、もし道が埋まっていて通れなくなったらどうしようと不安になる。

 19時30分ようやく徽県に到着、福海斉飯荘というレストランに飛び込みで入る。


福海斉飯荘

 食事の用意ができるまで町の中を散策する。大勢の人が歩いていて近くの横丁の両側には屋台の食堂が200mくらい並んでいる。回族が多いのか白い帽子をかぶっている人が大勢見られる 

 
屋台の食堂街

 大通りに戻り300mくらい歩くと広場にテント張りの小屋がたくさん出ていて生活用品などを売っている。隅のほうにはサーカス小屋や舞台、射的場などがあってまさにお祭である。

 
夜市

 22時45分出発、40分ほど走るとバスのエンジンが故障して山の中でストップしてしまう。連絡方法もないしなおらなかったらどうしようと不安になる。15分ほどしてやっと修理が終わり、1時45分宝鶏の願和酒店に到着した。先月出た同じコースのツアーも道路のトラブルで1時に着いたというが、中国の地方を旅するときははらはらさせられることが多い。


願和酒店

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