シルクロード旅行記

 12日目 須弥山石窟、固原博物館観光

 今日は固原郊外の須弥山石窟を観光してから固原に戻り固原博物館を見学する。8時30分にホテルを出発、川に沿って走り10時に須弥山石窟に到着した。須弥山石窟は北魏時代に造られた石窟で、西魏、北周、隋、唐と造営が続けられた。石窟の数は全部で200ほどある。

 
川沿いの道

 バスを降りて中に入ると道端の岩の上に飛来石と呼ばれる赤みを帯びた石があった。この石は芭蕉扇であおがれてトルファンの火焔山から飛んできたという言い伝えがある。


 飛来石の左手の崖に大仏が彫られていた。則天武后の命で造られた弥勒菩薩の像で高さは20.6mある。唐の時代に造られたので顔は肥っている。まとっている袈裟にはシルクの質感がある。以前はここに3階建ての楼閣があったが1920年の地震で崩壊し、1982年にコンクリートの屋根が造られた。 


弥勒菩薩像

 弥勒菩薩の像の左側の方は崖になっていて崖下に川が流れている。この川と崖の間に1本の道があるが、この道はかってのシルクロードで、唐の時代ここに石門関という関所が置かれていた。

 石門関の先の絶壁に隋の時代に造られた石窟があり高さ8.6mの薬師如来の像が彫られている。この像は唐の時代に修復されている。


薬師如来

 次に飛来石の右側の岩山の中腹にある石窟群を訪れた。


岩山(拡大)

 まず33号窟に入る。この石窟は北魏時代に造られた中心柱式の石窟で、部屋の周辺に8本の柱が立っているのは珍しい構造だという。石窟の前からは色づいた木々の葉と対岸の赤い絶壁が眺められ素晴らしい景色であった。

 
33号窟            石窟前からの眺め(拡大)

 32号窟は北魏晩期に彫られ中心柱は7層に仏像が彫られている。


32号窟中心柱

 25号窟は道教の洞窟で子孫宮と呼ばれている。中には天界で子供を地上に送ることを決めている3つの女神像が祀られており、子供のない女性が子供を願って訪れる。左右の壁の前には十二支を代表する12人の子供の像が置かれている。天井には八卦の図が描かれている。

 
女神像             十二支の子供

八卦の図

 24号窟は北魏に造られ3層の中心柱には釈迦の一生が彫られている。


24号窟の中心柱

 48号窟、49号窟、46号窟は園光寺(旧景雲寺)の中にあり、いずれも中心柱構造をしている。


園光寺

 48号窟は北周の時代に造られ中心柱の4面と周囲の壁に多数の塑像がある。顔が削られているが、これは他民族によるとの説と、廃仏運動によるとの説がある。


48窟の塑像

 45号窟と46号窟は園光寺の2階にある。この石窟も北周の時代に造られ48号窟と同様に多数の塑像があるが、石窟が崖の高い位置にあったためか保存状態は良い。

 
45号窟の塑像         46号窟の塑像

 以上で観光を終え固原に戻る。途中三営という町の独一処餐庁という清真料理のレストランで昼食をとる。予約なしの飛込みだったので食事の支度に時間がかかったが、なかなか良い味であった。裏手に回ると羊の肉がたくさん吊るしてあった。相当繁盛している店のようだ。

 
独一処餐庁            羊の肉

 食後は秦の長城跡を訪れた。この長城は戦国時代に北方民族の侵入を防ぐため秦の恵文王によって造られ、長さが200kmある。高さは4mほどで土を突き固めて造ってあり、傾斜が緩いのでただの土手のようにしか見えないがこの長城のお陰で異民族の侵入を防ぐことができ、昭襄王、始皇帝と受け継がれて秦の国力が充実した。


秦の長城跡

 長城の両側は畑になっていて道路に近い部分は1辺2mほどに升状に土盛をして中央に苗木を植えてある。中国では黄土高原の土砂の流出を防ぐため「退耕還林」という政策を打ち出し畑を林にすることを推し進めているのだ。しかし山の斜面に木を植えるのでなくもともと畑だった道路脇に植えているのはおかしなことである。


植林

 固原に戻った後、固原博物館を訪れる。この博物館は6つの展示室からなり、固原の出土品やレプリカ、説明図などを陳列していて内容が充実している。


固原博物館

 第1展示室には新石器時代から青銅器時代の出土品が展示されていた。新石器時代の出土品には農作物を刈り取る石刀、麻糸を作るための穴の開いた板状の丸い石、紐の先につけて振り回して狩をするための穴の開いた石球、玉の副葬品、骨の針、畑を耕すため使った鹿の角、つるべとして使った細長い素焼きの壷などが並べられていた。青銅器時代の出土品には青銅器の武器、粟の粥を作るための3足の陶器、馬の飾り、貨幣として使った貝、鼎の原型となった3足の青銅器などが並べられていた。

 第2展示室には春秋戦国時代から漢の時代の出土品が展示されていた。春秋戦国時代の出土品には副葬品だった金の厚板、2頭の虎と鹿が刻まれた金のボタン、青銅製のバックル、刀身が鉄で柄が青銅の刀、字の刻まれている青銅の矛、墓のレプリカなどが展示されていた。漢の時代の出土品には故人の使用した道具を縮小した副葬品、細かい模様のついた瓦、管理するための番号が付けられた弩の引き金、宝石のついた金の帽子飾り、青銅の鏡などが並べられていた。

 第3展示室には隋、唐の時代の出土品が展示されていた。唐の時代の固原の長官の墓の道に置かれた故人のことが刻まれた文字、宋の時代の生活が刻まれた墓のレンガ彫刻、棺桶のそばに置く小さな仏塔、宋の時代の少数民族の陶器の酒壷、西夏時代の印鑑などが並んでいた。

 第4展示室には明、清時代の磁器、固原城の模型、北魏時代の石像、須弥山石窟の51窟のレプリカなどが展示されていた。

 第5展示室には墓の上に置かれた4分の1の大きさの家の模型、副葬品の埴輪、鼻が高く目の凹んだ西域の人の顔をした小さな兵馬俑、棺の蓋に漆で描かれた男女の神や天の川、鮮卑族の主人が客人と宴会をしている絵、親孝行のことを描いた絵巻物、棺につける金具などが展示されていた。また将軍の墓のレプリカも展示されていた。この墓の入り口は全長24mあり壁に24枚の画が描かれている。この墓には夫婦が合奏されていた。

 第6展示室には国宝のペルシャ製のガラス器があった。ガラスの表面にはたくさんの丸い模様がついているが、初め厚く作って模様の部分を残して磨いて薄くしたという。ほかに死者にかぶせる金の仮面、副葬品の人形が履いていた土の靴、墓の入り口の門に描かれた主雀などの画、棺桶の下に置く石、墓室に描かれた武士の画、人間の顔と動物の体を持った鎮墓獣、将軍の像などが展示されていた。


 博物館を見学した後、西湖公園へ行く。ここには固原城の城壁の一部が残っている。かって固原は清の時代の城壁に囲まれた古都だったが、文化大革命で城壁のほとんどが破壊されて普通の都市になってしまった。

  
西湖公園入り口               城壁の門            城壁の石塔

 西湖公園からホテルまで歩いて戻る。途中市場がありトウガラシやリンゴが売られていた。50個くらいリンゴの入った袋が20元(260円)というので安さにびっくりしたが、別の場所では8元(110円)で売っていたと言うから信じられない安さだ。

 
トウガラシ            リンゴ

 夕食はホテルのレストランでとった。鍋物も出たが楊枝に刺したミニ・シシカバブがおいしかった。


ミニ・シシカバブ

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