イラン旅行記
7日目 エラム庭園、ペルセポリス、ナクシェ・ロスタム、ナクシェ・ラジャブ観光
今日はシラーズ市内のエラム庭園を見た後、近郊のアケメネス朝の都城址ペルセポリス、王墓の残るナクシェ・ロスタム、ササン朝のレリーフの残るナクシェ・ラジャブを観光する。
8時15分にホテルを出発、5分足らずでエラム庭園に到着した。この庭園はガジャール朝時代にムハンマド・ゴリー・ハーンによって造られた。門を入りバラ園を右手に見ながら進むとエラム宮殿に出た。池を前にした華麗な宮殿で壁や柱にはタイルで美しい装飾が施されている。
エラム宮殿(拡大) 屋根の下の壁画
柱の装飾
宮殿の前には糸杉の並木道が続いており、中央には水路があって清流が流れている。
並木道
冬なのでバラ園のバラは枯れていて、全身真っ黒なカラスと灰色と黒の2色のカラスが仲良く餌を探していた。バラ園の先の丘の上にシーラーズ医科大学が見える。
カラス シーラーズ医科大学
このあと60km先にあるペルセポリスに向かう。途中道路の左側に美しい門があった。11世紀に造られた門で上部にコーランが置かれた小部屋があることからコーラン門と呼ばれている。壁面はモザイクで装飾されている。
コーラン門 壁面の装飾
コーラン門の手前の丘には建設中の集合住宅がある。遠くからも目立つこの建物は20年前に建設が始まったのだが、途中何度も工事が中断され未だに完成していない。
建設中の集合住宅
10時過ぎにペルセポリスに到着した。ペルセポリスは紀元前518年アケメネス朝のダリウス大王の時代に着工し180年かかって建設され、BC330年にアレキサンダー大王によって火がつけられるまで200年間祭祀のための都として用いられた。総面積は12.5ヘクタールあり8mから18mの基段上に造られている。
駐車場から5分ほど歩くと折り返しのある大きな階段の前に出た。左右2つの上り口があり、馬に乗ったまま登れるように段差が10cmくらいになっている。この階段は5つの段をつけた大きな石を積み上げて造ってある。
大階段
大階段を登り切るとクセルクセスの門の前に出る。中央に高さ16.5mの柱が4本あり、当時はここに高さ18mの屋根がかかっていた。東、西、南の方向に出入り口があり、東と西の出入り口が残っている。西の出入り口には牡牛、東の出入り口には人面有翼獣の像がある。中央には石のベンチがあり、属国の使節の控えの間として使われた。
クセルクセスの門の西出入り口 東出入り口
クセルクセス門から東の方向に歩くと儀杖兵の間に出る。ここにはイラン航空のシンボルマークになっている鳥の顔とライオンの足を持ったホマの像がある。ホマは宮殿の内部に置く目的で造られたが王の気に入れられなくてここに置かれた。
ホマ
さらに進むと未完成の門に出る。ここには柱や台座、柱頭などが多数散乱している。
未完成の門 牡牛の柱頭
ここで石柱を台座に位置合わせするときの印や2つの石柱などを接合させるときの鉛のくさびを見ることができる。石材には石灰岩と黒い花崗岩が用いられているが石灰岩は30km、花崗岩は60km離れたところから運ばれてきた。柱に突起があるものが見られるが、この突起に鎖を巻いて滑車で運んだという。
石柱と台座 位置合わせの印
鉛のくさび
この後百柱の間に出る。ここには高さ14mの柱が100本立っていた。出入り口が8つあり、門にレリーフが残っている。上部はアラブに破壊されたが下部は土の中に埋まっていたので残っている。
王座かつぎのレリーフ
中央宮殿はペルセポリスの中央に位置する。ここの階段にはペルシャ人の高官と貴族、メディア人が描かれている。
ペルシャ人 メディア人
アバダーナ(謁見殿)の手前の階段の側面に牡牛とライオンの像がある。牡牛とライオンはそれぞれ牡牛座と獅子座を表し、獅子が牡牛の上に来るのは春分になって日が長くなることを表している。上の段段のついた飾りはジグラットを表している。
牡牛とライオンの像
アバダーナの東階段の右側の階段には兵士と貢物を運ぶ人のレリーフがある。
兵士像
東階段の左側の階段には貢物を運ぶ28の属国の使節のレリーフがある。前方にはメディア人、アッシリア人、バビロニア人など近い国の使節が描かれ、後方にはインドやエチオピアなど遠い国の使節が描かれている。
貢物を運ぶ使節のレリーフ
階段を登りきると謁見の間に出る。12,432平方メートルの面積があり、ここで属国の使節の謁見や新年祭りが行われた。ここには高さ21mの円柱が立っており、当時はこの上に高さ24mの屋根がかかっていた。屋根の材料にはレバノン杉が用いられた。
謁見の間
謁見の間の南側にはダリウス1世の宮殿がある。こじんまりした宮殿であるが彫刻のある門やくさび型文字の刻まれた碑文などが残っている。
ダリウス1世の宮殿 門
門上部の飾り 門壁面の彫刻
くさび型文字
遺跡の東側にはクーヘ・ラフマト(慈悲の山)と呼ばれる山があり、アルタクセスクセス2世の墓が残っている。
アルタクセスクセス2世の墓
墓の前からは遺跡の全景をぐるっと見渡すことができる。
守備隊兵舎(左手前)、百柱の間(左中央)、謁見殿(左奥)、未完成の門(右手前)、クセルクセスの門(右奥)
宝物庫(中央)、ハレム(奥)
クセルクセス2世の墓から右手に山の斜面を500mほど歩くとアルタクセスクセス3世の墓の前に出る。墓の構造はアルタクセスクセス2世の墓とまったく同じである。
アルタクセルクセス3世の墓
ここからはペルセポリスの全景を1枚の写真に収めることができる。当時は素晴らしい景色だったろう。
ペルセポリス全景(拡大)
墓と宮殿の間には縦横3mくらいある大きな井戸がある。覗いてみると水面に青空が写っていた。
井戸
昼食はラーネタブースというレストランでとる。高度が1600mもあるので日向は暖かいが日陰は寒く、食べているうちに日が移動して木の陰になり寒くなってしまった。150人ものポルトガル人グループと一緒になったが、彼らは3台のバスに乗ってきているのだから大変である。
ラーネタブース 屋外レストラン
15時25分発、15分ほどでナクシェ・ラジャブに到着した。ラジャブの絵という意味でラジャブは茶店の主人の名前である。ここにはシャルプール1世騎馬行列図、カルティール神官の胸像、アルディシール1世の叙任式図、シャプール1世の騎馬叙任式図がある。神官がひげを生やしていないのは去勢されているからである。
シャルプール1世騎馬行列図 カルティール神官の胸像
アルデシール1世の叙任式図 シャプール1世の騎馬叙任式図
ナクシェ・ラジャムから1kmほど離れたところにナクシェ・ロスタムがある。ロスタムは伝説上の英雄の名である。ここには11個のレリーフが残っている。上方のレリーフはアケメネス朝の墓、下方のレリーフはササン朝の記念碑である。
入り口の正面の崖にはダリウス1世の墓がある。縦34m、横22mありロープで釣り下がって彫ったと考えられている。
ナクシェ・ロスタム正面 ダリウス1世の墓
右手の崖にはダリウス1世と同じ形式のダリウス2世の墓がある。
ダリウス2世の墓
左手の崖にはアルタクセスクセス1世の墓とクセルクセス1世の墓がある。これらもダリウス1世と同じ形式をしている。
左手の崖
アルタクセスクセス1世の墓 クセルクセス1世の墓
ダリウス2世の墓の下には2段になった戦闘図がある。下側のレリーフの馬は両足が直線状になるまで開いているがこのような馬の脚の形は空中飛翔型と言われる。
2段の戦闘図 空中飛翔型の馬の脚
その右側にはナルセ王がアナヒータ神から王権のリングをもらっているレリーフがある。
ナルセ王叙任図
2段の戦勝図の左側にはシャブール1世戦勝図が彫られている。馬上のシャブール1世にひざまずいているのはローマ皇帝のフィリップス1世で、その右に立っているのはカルティール神官である。王の力を強調するため馬が小さく彫られている。
その左側にはホルムズド2世騎馬戦勝図がある。左側のホルムズド2世が敵を槍でつき刺している場面が彫られている。
シャブール1世戦勝図 ホルムズド2世騎馬戦勝図
その左側にはアルデシール1世がアフラ・マツダ神から王権のリングを受け取っている図が彫られている。アルデシールの馬の下にはパルティア王のアルタバヌスが、アフラ・マツダ神の馬の下には悪魔が彫られている。
アルデシール1世騎馬叙任図
一番左側にはバフラム2世と家族の図が彫られている。この図はエラム王国時代のレリーフの上に彫られている。その右側にはエラム王国時代のレリーフが残っている。
バフラム2世と家族の図 エラム王国時代のレリーフ
崖の前方にはゾロアスターのカーバと呼ばれている建物があるが用途は不明である。
ゾロアスターのカーバ
16時40分発、少し走ると拝火壇の跡があった。拝火壇は仏塔の基になったと言われている。その先の崖には穴が掘られていたがゾロアスター教徒の墓だという。ゾロアスター教では地を汚さないよう遺体を岩に置いた。
拝火壇
拝火壇から30分ほど走ると左手に古い橋が見えた。サファビー朝の橋だという。
サファビー朝の橋
さらに30分ほど走ったところにハーフェズ廟があった。ハーフィェズはイラン最も偉大な叙情詩人でシーラーズに生まれ生涯のほとんどをシーラーズで過ごした。廟の中には棺が収められ、訪れた人々がそばにひざまずいて棺に刻まれた詩を詠んでいた。
ハーフェズ廟
棺
ハーフェズ廟の脇にはチャイハネがあり地元の人が集まって水煙草を吸いながら話をしていた。同行のメンバーが一緒に水煙草を吸っている写真を撮らせてと話したら快く引き受けてくれ、撮り終わるとサンキューと礼を言われた。イランの人はこちらから写真をお願いしても逆にお礼を言われてしまうことが多い。
チャイハネ
チャイハネで1時間ほど過ごした後レストランに向かう。途中ライトアップされた廟があった。835年にシーラーズで殉教したエマーム・レザーの弟セイイェド・ミール・アフマドの廟で、彼の通称を使ってシャー・チェラーグの廟と呼ばれている。この廟はシーア派の聖地で多くの巡礼が訪れている。中に入りたかったが異教徒は入れないというので諦めるほかなかった。
シャー・チェラーグ廟(拡大)
19時15分レストランに到着、夕食をとる。店先でナンを焼いていた。お供えのように丸めた小麦粉を手のひらで広げザルを伏せたような台に載せて形を整えてから釜に入れる。同行者の1人が挑戦して見た目にはうまくできたが、売り物にはできないということでご馳走になった。食後ホマ・ホテルに向かい21時30分に到着した。