イラン旅行記
3日目 チョガー・ザンビール、ハフト・テペ、スーサ観光後アバダーンへ
今日はチョガー・ザンビール、ハフトテペ、スーサの遺跡を見た後、アバダーンまで115km移動する。8時にホテルを出発、今日も雲1つない青空だが、放射冷却のせいで寒い。道路の中央分離帯にはイラン・イラク戦争の戦死者の肖像画がたくさん並んでいる。彼らの多くは志願兵として戦場に出たという。一緒に赤いバラの花が描かかれていることが多いが、赤は熱情と血を表し、バラの花びらがぱらっと落ちるのでバラは祖国のために死んだことを表している。
バスが市街地から外に出るとき検問を受けた。イランでは大きな町の入り口には検問所があり、公共のバスは速度の記録紙を調べられ、裏に検査官の署名をもらわないと先に進めない。制限速度は一般道では90km/h、高速道では110km/hだが、速度が高く表示されないようにする手も用いられているという。
速度記録紙
今度のバスは大型の新しい車両で全員が2人分の席を使えるので楽でよい。それに助手のナディールさんが周ってきて地元の菓子や果物、ミネラルウォーター、紅茶などを配ってくれてサービス満点だ。
郊外に出ると道路の右側で廃ガスを燃している炎が見えた。このあたりは一番古い油田地帯である。イランの石油の産出量は世界の20%あり、サウジアラビアに次いで世界第2位である。そのためガソリンが1リットル150リアル(約2円)、軽油が400リアル(約6円)と信じられないくらい安い。これではガソリンスタンドの売上はわずかしかない。よくやっていけるものである。
廃ガスを燃した炎
道端にアカシアのような木が続いている。コナールという木で白い花が咲くというが、今は冬なので豆のような実がついている。この木はペルシャ湾沿岸しか生えていないという。この辺りは肥沃で麦、サトウキビ、トマトなどが作られているが、今は枯れた畑に放牧された羊の群れを見るだけである。道路に沿って線路が走っているが、チョガー・ザンビールに製糖工場があり、砂糖を運ぶ貨物列車の線路だという。
コナール 放牧の羊
10時少し前にチョガー・ザンビールに到着した。ここはBC1250年頃エラム中王国のウンタシュ・ナピリシャ王によって建設された宗教都市で、中心にはスーサの守護神インシュシナワに捧げられたジグラットがある。このジグラットは5段の階段状の構造をしている。現在の高さは27mであるが当初は50mあったという。1辺が105mありバビロニアのバベルの塔より大きかった。以前は頂上まで登れたが、世界遺産に登録されてから内部に入れなくなってしまった。
ジグラット
ジグラットは焼成煉瓦で造られていて、強度を保つため各段は下の段の上に積み上げるのではなく、地面から積み上げている。ジグラットの表面は彩色レンガで装飾され、夜になると月の光を浴びて光っていたという。今でも色の着いたレンガや、エラム語で「インシュシナワ神のために造った」と刻まれたレンガが残っている。
施釉レンガ エラム語の文字
ジグラットの四方の面に階段がついていて南面の階段は王族のための階段、その他は一般用の階段として使われた。王族の階段は頂上までまっすぐ登れるが、他の階段は迷路のようになっていて上まで登れなかった。
階段の前には直径4mほどの円形の台がある。イケニエの台と言われているが、1つだけは上部2分の1が低くなっていて、日時計だったと考えられている。
階段 円形の台
ジグラットは3層の防御壁で囲まれていて防御壁の内部は聖域になっていた。1層目と2層目の防御壁の間にはガルの神殿ほか多数の神殿の跡が残っている。
ガルの神殿
2層目と3層目の防護壁の間には宮殿、葬祭殿、王の門などがある。葬祭殿には王の墓が5つあり、そのうち1つは中に入ることができる。
王の墓の入り口
ジグラットを出て5分足らず走るとデズ川が見えてきた。当時デズ川はもっとジグラットに近いところを流れていたのだが、流れが変わって遠くに離れてしまった。川の写真を撮るため道路脇の丘に登るとジグラットが谷の間から見えた。
デズ川 ジグラット遠景
さらに15分ほど走るとハフト・テペに到着した。ハフト・テペとは7つの丘という意味であるが、実際にはこの一帯に12の丘がある。未発掘の部分が多く目下イランの学生が発掘作業を行っている。最古の部分は紀元前6000年に造られているが、今回はチョガー・ザンビールの前の時代の遺跡を見た。
バスを降りると道路脇に地下式の墓があった。ここに23体の遺体があったという。この墓はBC2250年にケプピアハル王が造り、天井のアーチは世界最古と言われている。墓の後方には広間があり墓と広間はトンネルでつながっていた。
王の墓 広間
広間の先には多数の建物の跡がある。保護のため遺跡は壁土で覆われているが、見学者用に当時のレンガの一部が露出させてあった。1辺40cmくらいの大きなレンガで目地には漆喰が用いられている。
遺跡 レンガ
ハフト・テペを発って15分ほどでスーサに到着した。スーサはダリウス3世が建設し、アケメネス朝ペルシャの冬の都として使われた。しかし、それ以前から都になっていて最古の部分は先史時代にさかのぼることができる。
遺跡の近くにあるアバダーナというレストランで昼食をとる。この辺りにはユーカリの木がたくさんあるが、良く見るユーカリのように葉がねじれていない。ニーナという種類で、葉は良い香りがする。
アパダーナ ニーナ
食後レストランから3分ほど走るとスーサの遺跡に到着した。この遺跡からは有名なハンムラビ法典が発掘されているが、今はルーブル博物館に保管されている。
中に入るとまず考古学パレスと呼ばれる宮殿のような建物が目についた。フランスの調査隊が盗賊から身や発掘品を守るために造った建物でバスティーユの牢獄をモデルにしている。建材には周辺の遺跡のレンガを持ってきて使っている。今は軍が使用している。
考古学パレス
スーサの遺跡は丘の上にあり、坂を登るとアパダーナ(謁見の間)の跡に出る。ここには3つの中庭、百柱の間、ハーレムなどがある。
中庭 百柱の間
百柱の間には柱の礎石や2頭の牛が彫られた柱頭が残っている。礎石の土台と円形部は一体で、大きな石から削りだされている。
円柱と礎石 柱頭
遠くの丘に建物が見えるが発掘前はこの建物の高さまで地面があったという。大変な量の土砂を掘ったものである。
スーサの遺跡を出て5分ほど歩くとダニエルの塔に出た。スーサは聖者ダニエルが亡くなった地である。イランは聖者信仰が盛んで願い事があるときはモスクではなく聖者廟へ行って願掛けをする。塔の下はダニエルの霊廟になっていて靴を脱いで中に入るとミラーワークのある部屋の中に金や銀で飾られた小部屋があり棺が収められていた。棺に遺体はないが多くの参拝者が棺に向かって真剣に祈っていた。
霊廟の中庭の側面の建物には壁画が描かれており、ダニエルが飢えたライオンの入っている檻に入れられたときライオンはおとなしくしていたという伝説も描かれていた。
飢えたライオンとダニエル
塔の近くにナンの店があり、胡麻の入ったナンを焼いていた。ガイドのメフルダードさんが買ってくれたので少しずつ分けて食べたが甘くてなかなかおいしかった。1枚1000リアル(15円)というから手頃なお菓子だ。
ナンを焼く釜 ナン
15時発、途中で検問を受け、16時30分アフワズの町を通過し、さらに西へ走る。ときどき道端に壊れた戦車が置かれているがイラク軍の戦車だという。トイレ休憩をとったとき、近くで農民が川の水をポンプで畑に水をまわす作業をしていた。東南アジアでは人力で水を汲み上げているが、イランは石油が安いので貧しい農民でも動力を用いることができる。
農夫
道路脇の地面が白くなってきた。塩が吹き出ているのだ。このような土地では作物は育たないが、それでも雑草が生えていて生命力の強さに驚かされる。
17時10分夕日が沈みかかってきたのでバスを停める。逆転層ができているらしく太陽の下が凹んで、沈みそうでいてなかなか沈まない。最後は2つの小さな点になって点滅した後スーと消えた。夕日はあちこちで見ているがほとんどは遠くの山の陰や雲の中に沈んでしまい、完全な地平線に沈むのを見たのは初めてだ。
落日
この後右手に湖が見えてきた。イラン・イラク戦争のときダムを作り、雨季に川を溢れさせて車を通れなくしたのだという。途中で再び検問を受け、18時35分アバダーンのアサディ・ホテルに到着した。部屋にシャワーがついていたがぬるくて使えなかった。