インドヒマラヤ旅行記

13/14日目 デリー観光後成田へ

 いよいよ帰国の日が来た。今回のツアーの参加者はインドに何度も来ている人が多いというので今日の観光はラールキラに行くことになった。ラールキラはムガール帝国5代目の王シャー・ジャハンが1638年から9年かけて造った城で赤砂岩が用いられているため英語でレッドフォートと呼ばれている。以前ラールキラはデリー観光の目玉だったが安全性に問題があるとして最近はパックツアーが訪れなくなり、ガイドのシュリタランさんも案内するのは5年ぶりだと言っていた。

 8時半にホテルを出発、広くて清潔なニューデリーの通りからごみごみしたオールドデリーの通りに入った途端インドらしくなり、リキシャ、馬車、牛車が目に付くようになる。ジャイナ教のお寺の前に来ると路肩に大勢の男がしゃがんで列を作っていた。金持ちが職のない人に食べ物を施しているのだ。


施しを待つ人たち

 25分ほどでラールキラに到着した。ラールキラは全長9kmで3mの厚さの城壁で囲まれており、城壁の高さはヤムナ川に面する部分は18m、その他の部分は33.5mになっている。ヤムナ川に面しない部分には堀を造りワニを入れていた。城壁には14の門が造られたが、今は5つの門が残っていて、ラホール門とデリー門が最も良い状態に保たれている。


城壁

 ラホール門の前に行くと門の前に低い城壁が築かれていた。門を開けたときに城の内部を見られないようにしてあるのだ。目隠しの城壁の正面に台が見えるが8月15日の独立記念日に首相がここで演説をするのである。門の上に7つの小塔があるが、デリーが7番目の都であることを表している。

 
ラホール門の前の城壁            首相が演説する台

 城壁の脇にある門から中に入ると目の前にラホール門がそびえている。門の大きさに対して入り口が小さ目なのは敵軍がどっと入ってくるのを防ぐためである。王が門を通るときは美女が上から花を撒いた。

 
城壁脇の入り口           ラホール門(拡大)

 門をくぐると白い建物があり、壁には貴石を用いて絵が描かれている。通路の両側には土産物屋が並んでいるが、建物を保護するため立ち退きを迫られている。

 
白い建物         貴石の絵

 白い建物を抜けると赤砂岩の門がある。ここですべての来訪者は象から降りたので象門と呼ばれる。周囲の壁には彫刻が施されて金で覆われていたという。来訪者があるとバルコニーで音楽が演奏されたそうだ。

 
象門表側            象門裏側(拡大)   

 象門をくぐると正面にはディーワーネ・アームと呼ばれる王の公的謁見所が建っている。


ディーワーネ・アーム

 ディーワーネ・アームの正面中央に大理石でできた王の謁見台がある。ここで王は毎日1時間半謁見を行った。初めの30分は挨拶を受け、次の30分は仕事の話をし、最後の30分は庶民の訴えを聞いた。謁見台の横には王が可愛がっていた王女から意見を聞く窓がついている。

  
ディーワーネ・アーム内部(拡大)              謁見台(拡大)               王女の窓

 入り口の上や部屋の仕切りの壁の上部には鉄の輪がついている。ここに絹のカーテンを吊るして部屋を仕切っていた。この輪は象門にも見られる。


鉄の輪 

 ディーワーネ・アームの奥にはディーワーネ・カースと呼ばれる王の貴賓用謁見所がある。ここでは王は知事や国賓と話をし、判断を行った。柱や壁には貴石を用いた精巧な装飾が施され天井は金や銀でメッキされていた。オリジナルの貴石は後にもちさられてしまったので目下人工貴石を用いて修復作業が行われている。

 
ディワニ・カース             内部(拡大)

 ディーワーネ・カースの右側にはカース・マハルと呼ばれる王の宮殿がある。ここには読書室、寝室、居間があり柱や壁には精巧な装飾が施されている。

 
カース・マハール

 カース・マハールの横には地下に行く階段がある。敵に襲われたときの王の避難路だというが、こんなに大きくて目立っていては敵もすぐ入ってきてしまうだろう。


避難路

 ディワーネ・カスの右側にはランゲ・マハルという女性用の建物がある。ここには歌や踊りをする300人の女性がいて、男は中に入れないので前の建物から眺めていた。


ランゲ・マハールのホール

 ディーワーネ・カスの左側にはモーティ・マスジットと呼ばれるモスクと高温、中温、低温の3つの浴槽のあるハマムが並んでいる。モーティ・マスジットはシャー・ジャハンの子アウラングゼーブ帝が父を幽閉したことを後年になって悔いて建てたという。

 
モーティ・マスジット          ハマム

 ラールキラには地方からの大勢の観光客が訪れている。見事なサリーを着た女性がいたがグジャラートの人だという。芝生には裸足のおばあさんが休んでいた。腕や足首には金や銀の輪をつけている。地方の人は財産を身に着ける習慣があり、金持ちの女性は体中に金や銀を10kgもつけるという。

 
グジャラートの女性            金や銀の輪をつけたおばあさん

 ラホール門の前はチャンドニチョークと呼ばれる賑やかな通りが伸びている。チャンドニとは月の光、チョークとは交差点をさし、シャージャハンが愛する妻のために造った通りである。今はオールドデリーのメインストリートになっていて、赤い屋根のジャイナ教寺院、白い屋根のヒンズー教寺院、金色の屋根のシーク教の寺院が並んでいる。

 
ジャイナ教とヒンズー教の寺院            シーク教の寺院

 この後チョウルビザールに行きインド最後の食事をする。チョウルビザールとは泥棒市場という意味で、創業当時泥棒市場で仕入れた食器を使っていたのでこの名が付けられた。今でも模様がばらばらの食器を使っている。ここは日本のパック旅行が良く利用するらしく、今日は日本人観光客で一杯だった。メニューはインドカレーとタンドリーチキン、細いシシカバブであった。これらは少しずつ出されるが写真を撮るため全部揃うまで待ったので食事が終わるのが遅れてしまった。


インドカレーとタンドリーチキン、シシカバブ

 この後空港に向かい15時2分に到着、X銭の手荷物検査を受けたら岩塩の粉が引っかかってしまった。健康によいと思ってガイドのシュリタランさんに頼んで買ってきてもらったもので、2kgで50ルピー(150円)という安さである。以前ペルーの空港でインカの塩を没収されたことがあり、まずいと思ったが今回は無事通過できた。

 インド航空306便のジャンボ機に搭乗、機内は夏休みの最後を過ごした若い人でほぼ満員だった。ジャンボ機は18時29分離陸、30分ほどしてジュースとスナックが運ばれさらに30分ほどして夕食が運ばれた。 


夕食

 時計を1時間半進め23時50分バンコク空港に着陸、機内でそのまま待機して1時15分に離陸、この後仮眠をとり6時少し前に機内灯が点いて目を覚まされる。時計を2時間進めて7時に朝食が運ばれ8時15分成田空港に着陸、14日間の旅は無事に終わった。 


朝食

 今回の旅行は初めのうちは天気が悪く見所も少なく、それに出発前に旅行者のほうから道路が1箇所通れなくなっていて他の場所も通れなくなるかもしれないなどと連絡がきたものだから気落ちしていたが、4日目から天気が好転し不通箇所も無事通過でき、あまり知られてないチベット仏教寺院や美しい景色、それにたくさんの高山植物も見られて充実した旅になった。

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